父の認知症介護についてはいったん終了し、最近悩んでいる母の幻覚・幻視への対応について少し書きます。
90歳も過ぎれば認知症の兆候が出てもおかしくないことはわかっているし、認知症なのか、そうでないのかについても、70代だった父の時に比べれば、正直切なさは少ない。
しかし、実際の症状に対応するということについては、90代であっても楽になるわけでもない。
母はもともと寝言を言ったり、夢から覚めても夢の内容が現実と錯覚する傾向がありました。
だから、多少の寝ぼけ症状は慣れているというか、笑い話になっていたというか、気にしていなかったのね。
でも、いつくらいからかなあ、夜中に突然起きて、ネズミがいたとか、猫がベッドの下に隠れていると騒ぎ出したのは。
頻繁になったのは85歳を過ぎた頃からかな、もう5、6年前ですね。
そして、ここ最近は、毎晩のように人の顔が見えるらしい。
目も合うらしい。
怖くはないらしく、「今日は何を見るかしら?」などと言って寝ることもあるんですが、実際にその時になると、大声を出したり、私に訴えたりするので、正直困っている。
幻覚、幻視と言えば「レビー小体型認知症」が疑われますが、夜間に限っての症状なので「夜間せん妄」かもしれません。
せん妄ならば、精神的な不安や何か大きな心配事があるのか? そういえば、急に切れることが増えたしなあ、我慢できなくなることとなにかつながっているのかもしれない。
もしかしたら、自分が死んだら一人のこしてしまう娘(私のこと)への心配が大きくなっていたり、どういう風に自分が死を迎えるのかという不安が現実的になっているのかもしれない。
とにかく、母の脳の中で何かが起こっていることは確かだろう。
でも、脳の画像をとったり、専門医に受診するのは嫌がるから、かかりつけ医に話してとりあえず漢方の抑肝散を処方してもらった。
認知症や認知症のような症状が現れたとしても、父の時の介護が参考になるかと言うと、これがならないのだな。
今、現役世代の私たちが一人ひとり性格も違えば考え方も気質も違うように、高齢になったからと言って、要介護になったからと言って、似たケースなんて一つもない。
認知症になったら食べたことを忘れるとか、家に帰れないとかという似た症状はあっても、食べたことを忘れたことで出てくる症状というのは、その人ならではものだから、対応も一人一人違ってくる。
前回書いた「心を通わす」は、話せない父だったからこそ、その一点に集中することで成果があったわけで、母と改めて「心を通わす」? うーん、方法がわからない…。
ただ、私が一人になっても大丈夫かという心配が母からなくなるとかね、私が母に対して口ごたえやわかるまで説明するのを止めるとかね、きっとそういうことが効果があるんだとは思う。
つまり、私が自分の弱点を克服したり、自分を変えたりすることが「心を通わす」ことにつながる。
それがわかっていながらできないという、結局私の問題なんだな。
親の介護によって自分自身を突き付けられる。
「母は、実は私である」がここでも当てはまるということで、やはりそれが介護の極意なのかもしれません。