在宅介護が始まって数カ月たった頃、父の認知症介護で行き詰まり、本にヒントを求めたことをの最後に触れました。
そして「ついに、ある本に出合います」と書きましたが、今回はその本を紹介しますね。
その本とは、終末期医療全般に取り組まれている臨床医、大井玄(おおいげん)氏の著書『「痴呆老人」は何を見ているか』です。(新潮新書)
帯に、こう書かれています。
人は皆、
程度の異なる
「痴呆」である。
作家 五木寛之氏
哲学者 木田元氏が
絶賛!!
木田元氏のコメント
「こんなに静かな、だが深い感動を味わったことはあまりない…」
本の目次はに紹介されていますので、ご参照ください。
第1章、第2章と読み進め、第3章(コミュニケーションという方法論)の冒頭でした。
私は雷に打たれたようになって。
その部分を引用します。
「先生は認知症の老人とどう心を通わせているのですか」と、研修医に質問されたことがあります。わたしはある精神病院へ短期実習生としてくる彼らに、痴呆状態にある人とのコミュニケーションのとり方を手ほどきしています。彼らの出来は不揃いですが、「心を通わす」という表現をした研修医は筋がいいと思いました。話を通じさせる、ではなく、心を通わすのが、認知症の老人とのコミュニケーション(意思疎通)の極意である、とわたし思っているからです。
「心を通わす」
その頃の私にとって、この言葉の重みはすごいものでした。
こんな風に考えて認知症になった父に接したことはなかったからです。
私は、伝えよう、伝えようばかりに躍起になっていて、父に伝わらないとイライラして、つまり自分が思うようにしていたのだと気づかされました。
父が失語症となり、言葉を発することができなくなっていたからだとも思いますが、「話を通じさせる、ではなく、心を通わすのが、認知症の老人とのコミュニケーション(意思疎通)の極意である」という文章を目にしたとき、私ははらはらと涙を流してしまったのです。
なぜなら、これはまるで私のための言葉のように感じたからです。
そこから食い入るように本を読み進めました。
すると「「理解する」は大事なことではない」とか、「笑顔はなぜ大切か」などと私に欠けていた要素の言葉が次々に現れるではありませんか!
とどめがこの文章でした。
痴呆状態にある人と「心を通わす」とは、記憶、見当識などの認知能力の低下によって彼らに生ずる「不安を中核として情動」を推察し、それをなだめ、できれば楽しい気分を共有することです。しかしまず、自分は彼らと連続した存在であり、彼は、実は「私」であるということを確信しなくてはなりません。
「心を通わす」具体的な方法が書かれています。
父を不安にさせているものを推察し、それをなだめ、楽しい気分を共有すること。
父が変わってしまったから、私は父を見張っていただけで、何も共有しようとはしていませんでした。
そして、この文章の「彼」を「父」置き換えて「父は、実は私である」と口に出して言ってみた時、光がともりました。
実は、認知症になった父のほうが、元気な頃の父よりも「自分と連続した存在」であるということを感じとることができると思ったのです。
なんだかちょっと哲学的な感じもしますが、とにかくこう思いました。
「父は私」なのだから、なにも難しいことなんてないじゃん!と😂
私はこの日から父を「監視」するのではなく、「観察」して「推察」するようになりました。
父は話すことができないので、喉が渇いても伝えることができません。
だから、より注意深く見るようにしましたが、「凝視」するのではなく、だた私がそこにいるだけのことでよいのでした。
本に書かれていた「彼は、実は「私」である」とは意味が違ったかもしれませんが、「父は、実は「私」である」を確信するには、父のそばにいるだけでよいことに気づいたのです。
変化はすぐに訪れます。
それまでの私は、強い口調で「お父さん!」と話しかけていましたが(伝えたい一心で)、アプローチを変えてからは、穏やかに「お父さん」と言えるようになりました。
そうこうするうち、ある日私は自然に「パパちゃん?」と呼び掛けていたのです。(こんな風に呼んだことは幼いころから一度もありません)
自分でもびっくりしましたが、父を見ていて、ちゃん付けをしたくなったのでした。(こういうのは家族の特権。介護職の人はしてはいけないことになっています)。
そしたら!! 父が初めて満面の笑顔を私に見せたではありませんか!
驚きました。
言葉として伝わっているのではなく、私の気持ちが伝わったのだと思いました。
「心を通わす」ことができた瞬間です。(と思っています)
こうやって父との闘いの日々は、父との普通の暮らしへと変化していきました。
玄関から無理やり出ようとするなどの困る行為を父はしなくなりました。
認知症になった父にはできないことがあるので、私は手助けをしているという、それが私にとっての介護がある暮らしになりました。(手助けの範囲はかなり広いんですけどね)
つまるところ、「心が通い合いたい」という気持ちがどれだけあるかだったのです。
だけど、これが誰にも当てはまることだとは思っていません。
家族関係は人それぞれですから、うちの場合も、父のお金の問題があったので、母も兄も今でもその恨みを大きくもっていますし、母は「だから介護する気になれない」とはっきり言ってました。
親身になって(母にはそう映ったようで)介護をする私のことを呆れていたくらいです。
でも、私の場合はそこまで恨んでいなかったというだけのことです。
認知症介護に関しては、この本に書かれている内容がヒントになったり、救いになったりする人もいると思いますので、ご参考まで。