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    浅井郁子(アサインコ)
    2021年5月11日
      ·  最終更新: 2021年5月11日

    連載「My介護ストーリー」#4 父の認知症は、たまたま受容できた(父の認知症_4)

    カテゴリー: アサインコのホームルーム

    ネットで見かける認知症介護の悩みでは、「もう限界です。これだけしてあげているのに、暴言を吐かれたり、文句ばかりを言われて…これ以上我慢しなくてはならないのでしょうか?」というような悲鳴に近い相談をよく見かけます。

    懸命に介護しているのに全く信頼してくれない、そのうえ私のことをまるで加害者のような目で見たりもする、もう我慢ならない! と言うように、感情的になって場合によっては抜き差しならぬ心理状態に陥るケースも少なくありません。


    私の父はピック病で、この認知症の症状の特徴(「人格障害」「時刻表的行動」「常同行動・反響言語」「言語障害」)のうち、同じ行動を繰り返す(常同行動)症状が顕著で、その対応が難儀でした。

    例えば、本棚の整理をするんだと言って本を全部出し、また元に戻し、また全部出してまた全部戻すという行動を繰り返すんですね。

    それを何時間も休みなく行うから倒れてしまうんじゃないかと心配になって止めても、一瞬休んだらまた始めてしまうのです。

    結局、本人が納得するまで(飽きるまで?)やらせるしかなくて、ほかのことに紛らわせようとしてもまた始めちゃうからね。

    また、毎日同じ時間に家を出て、明治神宮に行って、ほぼ同じ時間に帰宅するというのもしていました。(「時刻表的行動」ですね)

    その帰り道に、地元の鶏肉屋に寄って焼き鳥を無銭で買ってきちゃうため、母や私が後から代金を払いに行くなんてこともしょっちゅうでした。

    こんな風にまあ色々ありましたが、ほどなく脳梗塞を発症して5カ月入院し、退院してから本格的な在宅介護が始まったのです。


    脳梗塞の後遺症で失語症になっていた父との会話は成立しなくなっていたのですが、体は元気に動く父だったので、四六時中見守りが必要になりました。

    一番困ったのは外に出たがることです。

    気持ちはわかるんですけどね。

    だけど歩く動作がうまくできなくなっていて、歩き出すと加速しちゃう。

    そうすると、体は前のめりになるけど足がついていかなくて転倒の恐れがあるから一人で出すわけにはいかなくて、毎日玄関で私と押し問答をすることになりました。

    父はしゃべれませんから、無言の押し問答です。

    私が両手を広げて通せんぼをすると、父は私の腕の下をくぐろうとしたり、私の腕を押して突破しようとします。

    問題なのは、それが1時間も2時間続くことです。

    父には時間の概念がなくなっていたのかもしれませんが、執着心と集中力は増していて、あきらめないのです。

    これにはほとほと困りました。

    でも、私も粘るから、もう毎日根負け競争をしているようなものでした。


    こんなエピソードを人に話すと、「よくやったわね」と褒められることがあるんですけど、私が認知症の父の介護ができたのは、父への愛情が深かったわけでも、我慢強い性格を私がしていたからでもないのです。

    早い段階で、父が認知症になったことを「受容」できたからだと思います。


    認知症介護をする家族心理の4段階として、次のように言われています。


    1,戸惑い・否定 → 2.混乱・怒り・拒絶 → 3.割り切り → 4.受容


    これは、不治の病などを告知された時にも使われている心理のステップだそうです。


    認知症介護の場合は、第2ステップの「混乱・怒り・拒絶」で留まってしまう家族が多く、その心理状態のまま介護が続くと、とても辛くなるのですね。

    でも、元気な頃を知っている家族だからこそ、この段階で留まってしまうのは当然のことです。

    それでも、そこから「割り切り」のステップに進めるかどうかが認知症介護では大きなポイントといえるかもしれません。


    私の場合、たまたま3つのステップをほとんど経ずに一気に「受容」に行けてしまったんだと思います。

    その理由は、父にお金の問題があったからです。


    お金の問題のほうがショックが大きくて、「ええっ、どうしたらいいの?!」と解決方法が浮かばないから、その後に父が認知症になっても「本人は忘れていくからいいですよねー、この野郎!」なんて愚痴を言う感じで、父が認知症になったという事実に対する大きなショックはあまり起こらなかったのです。

    ある意味、冷たい感情だったと言えるかもしれません。


    なんていうか、人は大きな悩みができると、小さな悩みは気にならなくなると聞いたことがありますが、それに近い感じでしょうか。

    父の認知症については、父一人を受け入れれば済むだけの話だから「闘えばいい」と思えたのに比べて、お金の問題については、外部の人たちが絡むことなので、私としては受け入れ難く、思考を止めたいくらいの思いが強かったのです。

    ようするに、途方に暮れたのです。

    そして、認知症の問題とお金の問題を天秤にかけたら、お金の問題のほうが重く、認知症のほうは現実的に対応すればいいと心が動いたのでしょう。

    自然に「受容」していたのだと思います。

    だから、たまたまなのです。


    このように、家族が認知症になった時、その他の問題や環境、関係、年齢などの要素がいろいろあるだろうから、一人一人違う介護になっていくんですね。


    「闘えばいい」と始めた認知症介護ですが、認知症ケアの仕方など当時は何も知りませんから、父の行動を全力で阻止したり、見守るためにずっと付き合ったりするケアをしてしまいました。

    そんな対応をしていたら、父にとって私は邪魔な存在でしかありません。

    父にとって私は最大の敵であり鬼と映っていたのでしょう。

    すごい形相でいつも私を見つめていましたから。

    やばかったです。


    そんな不穏な日々が在宅介護を始めてから5カ月ほど続きました。

    私もさすがに疲れ果ててきて、このままではまずいと思い、解決策を探るために、やっと認知症ケアの本などを読み始めます。


    まず、認知症介護体験記を何冊か読みました。

    共感はできたものの、自分の介護のヒントになる事柄はあまり見つけられず、次は介護専門職や医師が書かれた本を読みました。

    認知症介護のQ&Aのような本も役立ちそうに思えましたが、父の症状は独特と言うか、読んでいると「そういう感じでもないんだよなあ」と言う感想で、なかなかヒントを得られません。


    しかし、ついに、ある本に出合います。

    その本の中に書かれていた言葉によって、私は気づかされ、膝を打ち、父への態度を180度変えたのです。

    次回は、そのお話をしようかなと思います。


    ここまで読んでくださり、ありがとうございます。



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