短期連載始めます! 題して「アサインコの介護ストーリー」です。
管理人の私の介護経験のうち、会員の皆様にご参考になりそうなエピソードを選りすぐって?!少し書いてみようと思います。
第1回目は“今から思えば”これが最初のシグナルだったな、という父の認知症についてです。
後に判明する父の認知症は、アルツハイマー型ではなく、前頭側頭型認知症(通称ピック病)と言われるものです。
一般に65歳未満に発症する認知症を「若年性認知症」と言いますが、ピック病はこの若年性に多く、高齢者で発症するケースは少ないとされています。
きっと気が若かった父は!?アルツハイマー型ではなくてこちらを発症したのでしょう。
50代くらいになると誰でも忘れっぽくなりますから、高齢になった親が忘れっぽくなっていてもさほど気にすることってないですよね。
私の父も、いつの日からか「俺も忘れっぽくなったなあ」とか「俺もボケたなあ」とか、しょっちゅう独り言のように口に出すようになっていました。
私は当時、親と同居していなかったので、たまに実家に行ったときに父からこの言葉を聞くようになっていたという感じですが、「俺も忘れっぽくなったなあ」という言葉を母や私に言うのではなく、独り言のようにつぶやいていたことが妙に記憶に残り、後日父が認知症だとわかった時、私は父が「俺も忘れっぽくなったなあ」とつぶやいていたことをふと思い出しました。
これが最初の“あとから思えば”です。
父自身、今までの忘れっぽさとはどこか違うと自覚し、その葛藤から「俺も忘れっぽくなったなあ」と口に出していたのだと感じます。
そして、父はその自分の変化を「うつ病」からくるものではないかと思っていたようです。
なぜなら、これもあとからわかったことですが、同居介護を始める際に、父の本棚を整理していたところ、老人性うつに関する新しい本を何冊も見つけたからです。
父は一人で自分の変化に不安になっていたのだろうと想像したら、切ない気持ちになりました。
父の変化がはっきり現れたのは、父が喜寿のお祝い(77歳)をした翌日のことです。
離れて暮らす私のもとに、母から電話が入りました。
「パパの様子がなんか変なの。ぼーっとしていて元気がないの」と母が言います。
でも、「昨晩遅くまで喜寿のパーティで騒いでいたんでしょう? 二日酔いじゃないの?」と私。
母は欠席しましたが、私はこのパーティに出席していて、父が長いスピーチをちゃんとしていたのを見ているので、母から電話が入った時は全く心配しませんでした。
でも、後から考えれば、母が父のことで何か不安になって私に電話をするなんてことは未だかつてなかったことです。
母には父の変化がはっきりと感じ取れていたのでしょう。
父はその後も仕事を続け、人と会い、普段の生活をしていました。
でも、次第に約束の日時を間違えたり、私にしつこく電話をかけてきたりと、以前には考えられない言動が起こりはじめます。
77歳の誕生日を祝う喜寿のパーティから1年も経たないうちにでした。
母の勘は当たっていたのです。
仕事関係の方々から心配の連絡が入ってくるようになります。
「お父さんの様子がおかしいです」と。
驚いた私はすぐに専門医に一度受診するようにと母に伝えました。
この専門医探しが、私が父の介護にかかわる第一歩となります。
そして、ここから怒涛の日々が始まりました。