ケアダイアリー介護する人のための手帳
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500字のつぶやき バックナンバー【2013年4月】

赤文字のコラムは〈介護する人のための手帳〉各ページの使い方を紹介しています。ぜひご参考ください。


夢中になれることや楽しみを見つけることは高齢になると一層必要と言われますね。
親が要介護になったらどうしようという不安を子どもがもつのと同じく、と言うか、それ以上に、本人のほうが介護される状態にならないようにと切に願っているはずです。
手っ取り早いのがテレビ。
いろんな番組を録画して、親の反応を見てみます。
高齢になると趣味が変わることがあるので、ダメもとで勧めても案外、ヒットに当たることがあります。
うちの母も昔は映画やドキュメンタリー、ニュースしか見なかったのが、近年は韓ドラに夢中になり、あれほど苦手だったバラエティもニコニコしながら見ています。
加えて「天声人語書き写しノート」もやっているのですが、これははじめ嫌がりました。
でも「旬な話題がわかってボケ防止になるよ」と言ったら、やりだしまして。
こんな言い方は家族だからこそ可能かなと。
毎日韓ドラを見たり、天声人語を書き写したりで忙しく、残りの時間のスケジュールを自分で立てて過ごしてくれています。
父も認知症になってからでも音楽番組やサッカーを見て喜んでいましたし、誰にでもきっと何かあります!
ダメもとでぜひいろいろとおすすめ作戦、トライされてみてはいかがでしょう。(2013-04-30)

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父の介護を通して考え直したことの一つに、自分のワーク・ライフ・バランスのことがあります。
と言っても、実際の時間の使い方とか、趣味をもとうとか、地域とのつながりを大切にしようとか言うことではなく、仕事に対する構え方が少し変わったかもしれないということなんだけど。
ツイッターで何度かつぶやいたことのある、介護前と介護後の自分の変化。
それにふと気づいたのが、インタビューの仕事での録音機器についてでありまして・・・。
私はインタビューの仕事の時、相手との話に集中したいからメモはあまりとりません。
どんなに長い時間のインタビューでも、テープ起こしは自分で行います。
その場で聞き逃していた相手の言葉にハッとしたり、こういうことを言いたかったのだなと感じ入ったり、その時の相手の表情を思い出したりと、テープ起こしはもう一度相手とのやり取りを振り返る大切な作業です。
だから録音機器は命。
その録音機器はいつごろからか、カセットでなくICレコーダーが主流となりました。
カセットテープのデメリットが多くあると認識しながらも、私はICレコーダーにどうも移ることができないでいました。
以前(介護前)はそれが恥ずかしく、最先端の機器を使いこなして颯爽とした感じをまとっていたい、なんてことを考えていたような気がします。
昨年から仕事に復帰し、最初のインタビューの仕事をいただいた時、私は迷うことなくカセットテープを用意しました。
それだったら介護前と同じじゃないか?と思われるかもしれませんが、私の気持ちが違いました。
カセットテープを堂々ともちこめるようになったのです。
いまどきカセット?と先方に驚かれることも正直ありますが、それが全然気になりません。
世間の流行りがどうだろうが、周囲にどう思われようが、自分が慣れていること、しやすい方法を選ぶだけのこと、と自然に思うようになっていました。
これは私の中では介護の経験が大きいように感じています。
人にどう思われるか、なんて考える余裕のない介護と言う経験は、自分のペースで、自分が思うようにするしかないという体験です。
これは思いのほか大きかったようです。(2013-04-26)

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認知症になった家族に対しては極力そのまま受け入れて、決して怒ったり、急かしたり、責めたりしてはいけない、などと言われますが、これは非常に難しいです。
認知症も重度になり、意思表示が困難だったり、話ができなくなったりの状態になれば、今までのことは水に流して憐れや情けの感情が先に来るでしょうが、認知症の初期の頃は、毎日が喧嘩状態になってもおかしくありません。
それは家族だからですね。
家族だからこそ、そこまで言える!そこまで言うか!で長年過ごしてきていますので(うちだけ?!笑)、親が高齢になったからと言って、突然接し方を変えるのは無理です。
だから、認知症の初期の頃にすべてを受け入れるなんて、到底できなのが普通と思います。
しかし、そもそも認知症になっていても、いなくても、高齢者に対して必要以上に責めたり、叱ったりしてはいけないどころか、必要なことでも指摘したり、注意してはいけないのだろうと、最近つくづく思います。
至難の業です。
人間が試されているなあというのが高齢者との生活ではないでしょうか〜。(2013-04-22)

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先日のコラムの最後に、介護者の不安感は複合的なものと書きました。
それぞれの家族ならでは家庭事情や現在の生活事情があって、それらが積み重なり、絡み合うなかで「介護」を考えなければならないため、誰もが初めて経験するような困難が付きまといます。
でも、様々な事情をいきなりクリアしなければならないと、自分自身をあまり追いつめてしまうとストレスになってしまいます。
ストレスと言うのは、自分が気づいている間はまだましなのだと聞いたことがあります。
自分が気づかない悩み・負担のほうが大きなストレスということでしょうか。
私は、父の様子が心配になり始め、厄介な問題も抱えていることもわかり、それを解決するために通い介護のようなことをし始めてしばらく経った頃、周囲の人から顔つきが変わったと指摘されてハッとしたり、外出中に恥ずかしいことにひどい尿漏れを起こしたりしました。
在宅介護が始まってからも、自分では大丈夫と思っていたのですが、幼児の頃以来のおねしょをしました。(どうも私は泌尿器系の症状が出る〜?!笑)
嫌だ嫌だと思いながらしている事柄よりも、ちゃんとしている、頑張りたいと思ってしていることの方がストレスに繋がることもあるのかもしれません。
現在、今までの自分とはどうも違う?という症状が出ていて悩まれている介護者の方がいらっしゃったら、 まず、ふっと肩の力を抜いてみてくださいね。
意識的に力を抜いてみるって、これ、けっこう効きます。
それから、ゆっくり物事に取り掛かってみる。
思いつめず、焦らず、自暴自棄にならず、何事も自分のペースで自分の思うとおりにやってみよう!でいいんです〜。(2013-04-19)

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私の母は現在82歳。
若い頃(39歳)に慢性関節リウマチを発症し、二度のひざの手術を受けたり、障害者手帳を交付されたりしていることもあって、介護保険サービスが始まったその年から要支援1の認定を受けている。
性格的に自己管理ができるタイプで、人からとやかく言われるのが嫌いなプライドの高いところがあるので、なよってしている部分はなく、前向きで自立心が強い。
従って、私に依存するのは事務的なことばかりであり、今でも毎日カートを歩行器代わりにして近くに買い物に出かけるし、夕食を調理もする。
しかし、高血圧で糖尿病もあり、耳も遠くなってきているので、私の心配は多い。
一人で電車に乗って出かけた時などは、帰って来るまで気が気じゃない。
父が認知症になったり、失語症になってしゃべれなくなったり、全面介護が必要になったりしたときよりも、ある意味私の精神は不安定になることがある。
ずっと要支援のまま要介護に至らず全うしてくれることが今の願いではあるが、いずれ看取りまで責任を負うことが脳裏をかすめると、高齢者と一緒に暮らすとはこういう思いをすることなんだと感づく。
高齢の親の世話や見守りをされていない家族の方々は、どうか、されている家族の方の心情を十分慮ってほしい。
介護者の不安感はとても複合的なものだから。(2013-04-17)

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「介護する人のための手帳」の紀伊國屋書店での取り扱いがそろそろ終了いたします。
書店でお求め予定の方は、是非今のうちにお願い申し上げます。
店頭で見つからなくても、店員さんにお声かけてくださいね〜。
大きな本屋さんで置いていただいて気づいたことは、「介護する人のための手帳」は確かにカテゴリーに分けると「介護」なので、「介護」の棚に置かれます。
でも「介護」の棚に訪れる方の多くは、介護専門職の方や介護について勉強をされる方のようで、家族介護をされている方は少ないんですね。
だから本当は「家族」や「家庭」の棚に置いていただけたらよかったかも!とちょっと反省しています。
「介護する人のための手帳」は帯を付けましたので商品の見かけは本っぽいですが、中身は全部自分で書き込む「手帳」です。
今後、商品の特性を生かし、販路を検討していきたいと思っています。
もちろんAmazon及びケアダイアリーのサイトではこれまで通りお求めいただけますので、なにとぞよろしくお願い申し上げます。(2013-04-15)

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一昨日のコラムで、モーツァルトのことを書きましたが、今日はサッカーです。
うちの父は、野球をテレビで見ていることはあっても、集中してスポーツ中継を見るような人ではありませんでした。
自分自身がスポーツ音痴だったせいなのか、スポーツ全般に興味を持たない人生を送っていたように思います。
私は16年ほど前からサッカーを見ることが趣味となっていました。
父の介護のために同居するようになってからしばらくは、スタジアム観戦はもとよりテレビ中継を見る余裕もなくなっていましたが、音楽の効果が見られた頃から父の状態が落ち着くようになったので、私もサッカー中継を楽しめる時間がもてるようになりました。
と言うわけで、サッカーを見るのは私自身の為だったのですが、傍らにはいつも父がいました。
すると、一緒にサッカーを見ている父が決定的チャンスが訪れると「アぁ〜」と声を上げるのです! シュートとか、場合によってはいいパスとか! 本当なんですよ〜。
サッカーをこれまで見ることなんておそらくなかった父が、テレビ画面を凝視している・・・。
その様子を見て私はびっくりしました。
だったら他のスポーツ中継ではどうかな?と思い、野球やゴルフなども見せてみたのですが、なぜか反応がいまいちなのです。
これは私の勝手な憶測ですが、サッカーは流れがあまり止まらないから興奮するのかもしれません。
それは音楽同様、人間の最初の本能に訴えかける何かなのかもしれません。
どちらにしろ私にとってはとてもうれしい出来事でした。
最後の半年間は、音楽にもサッカーにも興味を示せなくなりましたが、音楽やサッカーに大きな反応を見せてくれた頃が時々懐かしく思い出されます。(2013-04-10)

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モーツァルトの音楽が音楽療法に効果的、と言うようなことは、かなり以前から聞かれる話ですが、今朝テレビを見ていたら、色々な病気や症状の改善や予防のために選曲された症状別のモーツァルトのCDがあると紹介してました。
どこかの新聞に掲載された記事のようです。
医学的、科学的なことは知りませんが、モーツァルトは確かにいい!と私も単純に思います。
モーツァルトの音楽は、熟考に熟考を重ねてとか、推敲のあとが見受けられるとかがほとんどなく、自然の摂理によってすらすらと書かれたようであると言われることと無縁ではないのかもしれません。
残念ながら、モーツァルトを聴かせてのエピソードはないのですが、父は失語症になって文字も読めず、聞こえてくる言葉の意味もわからなくなってからは“音”に対して非常に反応するようになりました。
だから、音楽に人間の本能や敏感な部分に働きかける力があることは、父の介護の時に実感しました。
父は過去に好きだったり、よく聞いていたりした音楽に特に反応することもなく、どんな音楽も初めて接しているようにまっさらな状態で聞いているように見えました。
これは失語症になった人の特徴でしょうか。
そこで、いろんな音楽を聞かせたり、私が歌ったりして、父の反応を見ることは介護生活の中での一つの楽しみになりました。
そんな経験があるので、音楽療法は確実にあると思っています。
もしも要介護者の方が塞いでいたり、機嫌が悪かったりして、毎日をどう過ごさせたらよいか悩んでいましたら、いろんな音楽や音を流してみて、音楽の力を試してみてはいかがでしょう。
現在のご本人に何かピタッと来る音楽に出合えることで、介護が少しでもラクになりますようにと願います。(2013-04-08)

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2か月に一度のペースで総合病院内の皮膚科に通っています。
私の前の患者さんが高齢の女性でした。
診察が終わって出てこられたら、看護師さんが声をかけました。
「お薬手帳はお持ちですか?」
ああ〜、と大きな声を出しておばあちゃん、「持ってきているはずなんだけど」と言いながら、歩行器代わりにもなっているらしいキャリーバッグの中を看護師さんと一緒に大いに探したけれども見つからず。
看護師さんは「内科と、あと他にもどこかの科にかかられていますか?」と聞く。
皮膚科のお薬を処方する際に、他にどんなお薬を服用されているかを知りたいんですね。
看護師さんは内線電話をかけ、他の科に問い合わせておられました。
お薬手帳は高齢者には特に大切なものです。
「介護する人のための手帳」にいつもはさんでおいてくださいね〜。→こちら(2013-04-05)

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ツイッターをフォローしていただいている方はご存じかと思われますが、私はサッカーを見るのが好きです。
父を介護している期間は、スタジアムに行くことができず、テレビ観戦もままならない時期もありましたが、私がどんな状況であっても、サッカーは変わらず、止まらず、いつもあり続けてくれているから、心配しませんでした。
またいつか見に行ける時が来たら、サッカーを思う存分楽しんで応援できればいいと思っていました。
父の介護が終わり、昨年からそうできています。ありがたいです。
母がもしも要介護状態になったら、またサッカーを見られなくなることがあるかもしれませんが、それまでは心置きなくサッカー観戦をしていきたいと思っています。
テレビ朝日で毎週放送されているナインナインの矢部さんが司会の「やべっちF.C.」と言う番組があります。
そのアシスタント司会をしていたのが、3月いっぱいでテレ朝を退職した前田有紀アナウンサーです。
彼女が退職に伴いこの番組からも去るということで、サッカーファンに向けて書いてくれた長い手紙が公開されました。→こちら
その中に「サッカーに出会えたことを心から感謝しています。」と言う言葉があります。
誰にでも簡単に書けそうな言葉ですが、手紙全体を読めば、そうではなく、心から本当にそう思って書いている言葉だということがわかります。
私はこの言葉にすごく共感しました。
「一人でも多くの人が、サッカーに出会って、好きになって、学んで、成長して、今よりもっと楽しい人生を送れることを心から願っています。」と言うのも同じ気持ちです。
私の場合、今思うと、サッカーと出合えたから介護する力をもてたのかもしれないと、ふと感じることがあるのです。
それがどういうことかはこれ以上うまく説明できませんが、本気で応援できるものがあると、人はちょっと強くなれるのかもしれません。
前田さんもこう書かれています。
「忙しい毎日で、仕事があって、家庭があって、それぞれの毎日でやらなければいけないことがたくさんある中で、“何かを心から愛せること”“誰かを応援できること”ってすごい力だと思います。」と。
そう、その通りなのです。(2013-04-02)

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愛(いとし)くんの目は覚めるのか、それともまさか死んでしまうのか、それとも…と、ラストはどうなるのか?ハラハラしながら迎えた最終回でした。
人の命の無常とかけがいのないことを痛切に感じ、それが“生きる”決心に結びつく。
最後の1か月は、そういう目線があるように思いました。
このドラマの終盤あたりを見ていて、私はやっとこういう時代になったんだなーとも思いました。
子供の頃、CMを見ていて、家族とか幸せな生活とかを描きますよね、CMって。
でも、親がいない人がこれを見て傷つかないのだろうか?とよく思いました。
夢を与えるためには幸せな内容を描こう!
ホームドラマにもそういう傾向がありますが、現実はそんなことないよ!と白けた気分になることが多々あります。
脚本家の遊川さんは、親なんて突然いなくなるんだよ!理不尽なことって遠慮なくやってくるんだよ!と言うスタンスが基本にあってシナリオを書いている節があり、その時に人間はどうするかなんだよ!を伝えたいのだろうと感じます。
3.11の災害で、家族、家、故郷、仕事、財産を失った人たちがいっぺんに起こったという現実。
もう、理不尽な目に遭った人はマイノリティじゃないよって。
だからあの最終回の純の決意のように、堂々と生きていいんだよって。
私はそういう風に受け取りました。
やっとホームドラマの枠で、こういう内容のものが作られる時代になったんだなあと思います。(2013-04-01)
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