ケアダイアリー介護する人のための手帳
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500字のつぶやき バックナンバー【2013年3月】

赤文字のコラムは〈介護する人のための手帳〉各ページの使い方を紹介しています。ぜひご参考ください。


今週末を迎えると、いよいよ新年度が始まりますね。
入学、進級、新入、異動などなど、自分がその当事者でなくても、周囲にそれに当てはまる人が一人二人いるだけで、生活の新年度ってやっぱり4月!と思いますね。
先週末テレビを見ていたら「芸大生の告白…芸術の仕事にする…人生の決断」と言うドキュメンタリーが流れていました。
東京芸術大学の学生の幾人かにスポットを当て、彼らの就活や進路の悩みを描いていたのですが、芸大生ともなると、将来は芸術家に!と志して入学してくる学生が多いので、進路選択の難しさや葛藤もほかの音大や美大とは一味違う印象です。
でもね、芸術家にならなくても、社会人になっても音楽やアートを続けることの基盤を作るのが、音大や美大というところなのではないかと私は思っているんですね。
で、芸大出身者にこそ、そういう人生を見せてほしいと願うのです。
芸術家になるのかどうか悩むから悩んでしまうのでしょう。
それも芸大生だからこそ悩むのでしょうが、それで思い出したことは、そこそこ出来る人が一番悩むものなのですね。
でも、悩みというのは果てしないものです。
最も大切なことは、芸術家になるかどうかではなく、社会人になっても、幼いころから続けてきた音楽を愛し続けることができるか、一生のものとして楽しむことができるか。
…なんてことを書くのは、半ばそれを失ってしまった自分に対する反省と後悔から強く思うのですが。
ちょっと逆説的なんですけど、17年間毎日してきたヴァイオリンやピアノの練習を社会人になっても量は減っても続けられる環境がつくれたら、自然に道は開かれ決まっていくのではないかな、人生って、案外ね。
今日は介護と全く違うことをつぶやいてしまいました〜♪(2013-03-27)

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先日、ある施設介護士の方のツイッターに「付き添い」がいかに根気のいる仕事であるかがつぶやかれていました。
スタッフの方々は、休みたいとか、あの仕事が残っているとか、そのほかの仕事もたくさんあるから、付き添ってはいても、他のことを考えていることが多く、要介護者に対して特別の「思い」をもつことは難しいでしょう。
そう考えると、施設スタッフが付き添うと言うのは、家族が付き添うよりも大変だろうと思いました。
しかし、始終付き添いや見守りが必要とされる認知症の人はとても敏感です。
他のことを考えていると言う感覚が本人に伝わっているかもしれません。
家族が付き添う場合ももちろん、他のことを考えることはありますが、家族介護では、本人に対して“愛憎”が生まれていますから、本人にビンビンその愛憎ビームを投げかけます。(笑)
ですから、家族間の好き添いは「戦い」になります。
介護者がその戦いに敗れると、介護者は疲れ果て、本人の症状も悪化し、場合によっては犯罪につながる悲惨なケースさえ起こり得ます。
しかし、介護者がもし戦いに勝てば、家族間にしか生まれない絆のようなものができるように思います。
「戦い」なんて言葉を使うのは不適切に感じられるかもしれませんが、認知症の介護では、24時間の付き添い・見守りをした方がよい時期があり、24時間ですからね・・・これを戦いと言わずになんと言うのでしょう!
つまり介護者にとって「付き添い」は、「自分との戦い」と言えるしんどい行為なのです。
それでも“この付き添いは100%自分のことを考えている家族の行為”なのだと認知症の人には伝わるものだと、私は信じたい思いがあります。
どれほど認知症が進んでも、内と外の違いは分かっているのが認知症の人なのですから。(2013-03-27)

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桜の開花がいきなり訪れたので、先週末は突然の花見予定となった方も多かったことでしょう。
うちのマンションの隣に大きな桜の木があることから、毎年いくつかのお宅で花見ができます。
そんな折、今回初めてお会いした近所の方は、現在義母の介護真っ最中。
幸いとても良いケアマネさんと出会えたので、介護サービス等で困っていることはないのだけれども、義母本人をはじめ家族たちに対する悩みは尽きない模様でした。
だよね〜。
だから彼女は「介護する人のための手帳」の「毎日の記録」には、愚痴を書けたらすっきりするけど、それを家族に見られた時やばいから!とおっしゃる。
そうですよね〜。
「毎日の記録」ページにさりげない愚痴はどんどん書いてほしいけど、悪口のオンパレードになると、あとで自分が苦しいかも〜。
受診や入院の際に医者からの質問にバシッと答えるためにも、やはりあのページは要介護者本人の様子の記録を中心書くことをお勧めしたいでーす。
“毎日の介護記録”がずっと後になってから、あなたの頑張った思い出になりますように。(2013-03-25)

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家族や身寄りがいなくても、淋しすぎずに、元気で暮らしている話をもっと知りたいな〜と、ときどき思う。
私自身、親を看取った後は一人ぼっちだ。
要介護状態になったら介護サービスをうんと利用して、何とか自宅にしがみついて暮らしたいと思ってはいるけど、はてさてうまくいくだろうか。
例えば今、自分が独居の高齢者でちょっとしたことで入院し、退院することになったとしたら、それからさてどうするか? と言うシミュレーションをしておかないといけないなあ、と本気で考える。
介護サービス、遠い親類、親しい友人、近所の人たちとのつながりが、自然にできるものではなくなった今の時代、作る努力が必要なんだろうけど、難しいものです。
そのために必要なことは何か、また、よいモデルがあったら、そういうものを紹介する記事や情報がもっとあればいいなって思う。
地域密着の取材力!を、ちょっと考えています。(2013-03-22)

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「介護する人のための手帳」は、日付フリーなので、いつからでも使えます!
と言うことで、春を迎え、これから介護手帳を利用してみようかな?と思われている皆様に、改めて中身をご紹介します。
今日は、「年間カレンダー」ページについてです。→こちら
要介護者の診療日、介護サービス日、訪問者の予定や外出の予定などのスケジュールを記入するのによいですよ!
私は、父の診察日の管理用に使っていました。
要介護の高齢者はいくつもの病院(内科、心療内科、脳神経外科、歯科、整形外科、眼科、形成外科、皮膚科・・・)にかかりますので、通院(往診)スケジュール管理は介護者にとって大きな仕事の一つですね。
薬が切れる前に余裕をもって診察日を予約するのにも、この年間カレンダーで管理すると便利ですよ〜。
急な入院があった時は、その記録を付けておけば、過去の入院・受診・検査日が後からすぐにわかるので、健康管理に役立ちます。
曜日の記入が面倒な方には、ダウンロードサービス(無料)で「曜日入り年間カレンダー」をご用意しましたので、どうぞご利用くださいね! →こちら
また、介護者の予定も一緒に記入しておくと、ダブルブッキングを避けることができるなど、色々な使い方をぜひ工夫してみてくださいね。(2013-03-16)

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介護についての連携や協力については、行政・介護専門の人たちばかりに任せず、一般の人たち・・・特に地域力、近所力が必要になると、この頃強く思います。
そのチカラの起点になるのが、実は家族介護を経験した人たちじゃないかなと考えてもいます。
近所を知りたい、と言う単純な発想から、住んでいるマンションで「隣人の集い」を昨年から始めました。
この集いの4回目が先月開かれたのですが、今回は少々集まりが悪かったせいもあり、参加者全員で話すことができました。
20人以上集まると、どうしても席の隣の人と話すことが多くなり、参加し合ったみんなと話すことはしにくいですが、10人未満の出席だと、全員と話すことができます。
今回、風邪をひいて寝込んでいる夫の様子を語られた奥さんの話がきっかけとなり、医療や介護の話題で盛り上がりました。
その中で「地域包括支援センター」の存在がまだ浸透していないことがわかりました。
私がふと「高齢者の相談窓口なんですよ」と言ったところ、「それはもっと宣伝してもらわないとわからないよねー」と言われまして、それならば地域包括支援センターを訴求をするために、センターの連絡先を記したPOPのようなものを作って、マンションの掲示板に貼ったらどうかと言うことになりました。
早速、地域包括支援センターに行き、その旨をセンター長さんに話したところ、センター長さんはとても喜んでくださり「啓蒙活動は自分たちがしなければならないことなんだけど・・・」とおっしゃるので、これは住民のほうが動けばいい、町内会が動けばいいことだと気付いたと伝えました。
年に数回発行されているニュース紙も、こちらからマンションの戸数分取りに行って自分たちでポスティングするからと申し出たら、ポスティング用に安価な普通紙でコピーしてもらえることになりました。
掲示板にPOPを貼り、ニュース紙をポスティングするくらいのことは、実に簡単なことです。
こういう簡単なことから自分の地域で出来ることを始めていきたいなと思います。
(何事も、何か始めるには、まずは“一人から”だと思ってがんばろう!)
(周囲で応援してくれる人が一人ずつできてくれるとうれしいなぁ)
(幸いマンション内に既に数人応援してくださる方もいるし〜)
まずは今、こんなところです。(2013-03-15)

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厚生労働省のHPを見ていたら「介護予防一般高齢者施策」の欄に「65歳以上の高齢者の方々を対象として、お住まいの市町村では、...介護予防手帳の配布、...などを行っています」と言う一文を見つけ(→こちらの2の(1))、昨日ついでのあった区役所で尋ねてみた。
「健康推進課」と「福祉推進課」の職員の方々が対応してくださり、こういうものならあるのですけど…と出してくださったのが文庫本サイズの「健康手帳」です。
各種検診や保健指導の記録を付けられるほか、チェックリストや健康づくりのポイントなど、内容豊富でけっこうGOOD!なものです。
私共の「介護する人のための手帳」を家族が使うことになる前の、と言うか、使うことにならないよう、ご本人向けの「介護予防手帳」として、とてもおすすめです。
似たようなものは、それぞれの自治体で配布されていると思うので、ぜひお問い合わせしてみてくださいね。(2013-03-15)

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3/9の朝日の「記者有論」記事に「老老介護殺人、孤立防いで悲劇なくそう」とありました。
仲睦まじく暮らしていた老夫婦が、ともに要介護状態となり、相手を置いて死ねない気持から、夫が妻を殺害してしまったという痛ましい事件が記事の出だしです。
このような事件が相次ぎ、追い詰められた介護者を孤立させない支援が必要として、いくつかの自治体の取り組みが紹介されています。
臨時雇用の看護師訪問などですが、なるほどなあと思えるような支援案は伝わってきません。
でも、それは当然なんですね。
つまりポイントはここじゃないからです。
今回の痛ましい老夫婦の件で言えば、ポイントは記事の中にも書かれている「3人の子供がいるが、交流はここ数十年ほぼなかった」と言う部分ではないでしょうか。
もうはっきり言いますが、なんだかんだ言って、実際に介護するしないは別として、親子の問題なくして家族介護の問題は語れないんですよ。
数十年交流がなかったこの親子間に、どのような背景があったのかはわかりません。
この両親が子供には世話にはならないと断言し、子供たちはそれを尊重して交流を絶っていたのかも知れません。
それとも、3人の子供たちにとって、交流したくなるほどひどい親だったのかのかもしれません。
あるいは、ひどい過去がこの家族間に何かあったのかも知れません。
こういう記事に接した時、私がほんとに知りたいところはこの部分なんですね。
だって、親がこのような最期を遂げてしまい、子供たちはどんな思いをしてしまうかを慮るからです。
おそらく、そんな状況になっているとは知らなかったと子供たちは言うのではないでしょうか。
人間いずれみんな死んでしまいます。
生きているうちに家族の誰かが大人になって、残された人生を後悔や胸が痛くなり続ける事態にならないよう、人生の後半のどこかで家族関係を修復できる部分はそうできるように努力するとか、ほっておいてはいけないことってやはりあると思うんですね。
そのうえでの公的サービスやら近所力やらなのです。
近所力だって新たに作るつもりで努力しなければ作れない世の中です。
このようなことを思うのは、父がお世話になった小規模多機能の運営推進会議に、この2年間、父が亡くなってからも委員として参加させていただいているんですけど、そこで話し合われる問題事例のほとんどが、結局のところ親子の関係に尽きる印象が強いからです。
介護事業者は家族に無理が言えない、家族のほうは施設に任せたんだと言う態度が多い。
推進会議でいつも思うことは、スタッフと家族の話し合いの場が設けられないことなんですね。
問題事例のほとんどがこういう関係です。
これではうまくいくわけがないんですよ。
今の段階で、子供と介護事業者が話し合えれば何とかなる、道筋が見える、という時期を逃すと、手遅れになることって多いんですね。
おどかすわけじゃないけれども、それが冒頭のような事件につながっていくこともあると思うのです。
私は今、家族のほうからアクションを起こす時期に来ている気がしています。
そのためにできることを自分なりに少しずつ始めようとしているんですけど・・・続きはまた明日以降に〜。(2013-03-13)

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NHKの朝ドラ「純と愛」で、純の母親が認知症になってからは、それがどのように描かれていくのか、ドラマ全体の面白さとは別に興味深くありました。
あんなに穏やかな認知症の症状ならば介護は楽だなぁ思ってしまう視聴者も多くいるかもしれませんね。
まだ東京にいる頃、母親が純のことを認識できない状況がありました。
それは“純が純らしくないときは認識できない”と受け取れるような描写でした。
これって否定はしませんが、ちょっと安易な印象も受けてしまい、ちょっとドラマっぽ過ぎるかなってね。
ただ、ドラマのお母さんは自分が認知症であるという病識をもっていること、家族の誰かに介護の負担がかかっておらず家族が介護に対してイライラ感がないこと、そして宮古に戻ってからは近所の人たちみんなで彼女を見守っていること。
このように認知症の母親にとって生活環境全体に安心感や安定感が与えられていると、認知症の症状が穏やかになっていると言うのはある得ることかなと思います。
でも、そう考えると、羨ましい限りですね。
これだけの条件が揃うのは今の日本ではなかなかありません。
でも、この中でヒントにできることがあれば、よい結果をもたらすことはある気がします。(2013-03-12)

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「介護する人のための手帳」の各ページの使い方を、12月と1月の何日かのコラムで紹介させていただきました。
バックナンバーのページに移す際、その箇所のみ文字色を「赤色」にして掲載しております。
・12月→こちら
・1月→こちら
「介護する人のための手帳」の使い方のご参考にしていただけると嬉しいです!
よろしくお願いします。(2013-03-11)

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先月18日、夕方のテレビ朝日ニュースで「進化する“高齢者住宅”」を特集していたのでなんとなく見ていたのですが、なかなか良い概念をもった施設が登場してきたという印象を受けました。
紹介されていたのは→こちら
よい概念と言うのは「セカンドハウス」と言う考えをもって運営されているということです。
なかには自立から終末期まで対応するために、同じ事業者が自立の方から看取り段階の方まで向けに、状況に応じた施設を複数用意し、状態が変わったら移れる仕組みの施設も紹介され、これは利用者に安心をもたらすだろうなと思いました。
これからは、自分の親を入れたいという視点ではなく、自分が入りたいと思う視点で施設を自分たちの手でつくっていくことが必要になっていくのかもと感じます。
そんな思いで作られる“セカンドハウス”にかかわる人たちが増えていけば、よい方向に向かうのではないかと、ちょっと期待したくなりました。(2013-03-07)

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ツイッターで紹介しましたプロサッカーのボンバーこと中澤佑二選手の本『自分を動かす言葉』(新書)がとてもいいです。
まだ読んでいる途中なんだけど、既に心の残る箇所がいっぱいあります。
どんな仕事であっても、いいえ、仕事に限らずとも、生き方と言うよりある状況に陥った時、悩んだ時、辛い時にどうするか、と言うスタンスを伝える内容のものです。
途中まで読んで印象に残った事柄をちょびっと紹介します。
・プラスのエネルギーよりもマイナスのエネルギーのほうが周りに伝播しやすい。だから「マイナス」のパワーに取り込まれないようにと。これにはマジック・ジョンソンの言葉が紹介されていて、その中に「不幸な人は、不幸な人を、友達にしたい」と。
・「できる、できないじゃない、やるか、やらないか」。これと同じことをツイッターで何度か私も書いたことがありますが、やらなかったらどうする?的に追い込まれた状態で、人間、どうするか?みたいな次元のことです。つまり、やったら何か先にいいことがあるかという考え方をもつのではなく、やることで日々自分が成長するかどうかのほうに目を向ける。
確かにサッカーは努力すれば報われると思われがちだけど、そうでもない。成功が約束されているわけではないのに辛い練習と毎日の生活習慣を強いられているのに、ひどい結果を生む場合もある。そこでボンバーは釈迦の言葉も紹介していて「ただ今日なすべきことをなせ」と。
・でも辛いよね。「辛い時こそ前向きに」とはよく言われる言葉でありますが、だからって難しいよね。そのための方法として、ボンバーは「楽しそうにやる」ことと「前向きになれるスイッチを日頃から探しておく」と書いてあるんだけど、これはほんとにそうだなと。
介護生活中、私の前向きスイッチは韓ドラを見ることでした。毎日何かしらの韓ドラを録画してあったから、父を寝かせたら見れる!と言うのを楽しみにしてました。以前の生活だったら、そんなことは普通の楽しみなんだけど、介護のように辛いことや大変なことが1日の多くの時間を占め始めると、楽しみの重みが違ってくるんです。それを体感するのはボンバーが言うところの後でわかってくる成長ではないかと。
それから、おむつを1円でも安く買えた時の満足感のようなものもバカに出来ません。介護を楽しそうにやるためにも、選んだり、探したりする作業を楽しみの一つにするのはくだらないようで案外重要だと思うのです。
結局、仕事でも、勉強でも、家事でも、人との付き合いでも、そして介護でも、頑張っている人はたいてい、できる、できないではなく、やるか、やらないかをしている気がするんですね。
そして、うらやましく見える人はたいてい相当な努力しているんだと言うことを、ボンバーの本を読んで痛烈に、今更ながらに思いました。(2013-03-06)

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父は言葉をなくしてから「音楽」にとても反応するようになった。
当時のブログやコメントに、こんなことを書いてました。
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電話の音、玄関のチャイムの音などにすごく反応する父。
脳梗塞で失語症になっちまいましたが、「パパ」とか、自分の名前がフルネームで呼ばれると、頷きながら笑って反応する。
すべての言葉がわからなくなっているわけではないようだし、音声そのものにとても感じるみたい。
だから、音楽や、サイレンや、ベルなど特別な音には喜んで反応する。
また、テレビでおどろおどろしいBGMが流れると、怖そうにするし、悲しそうにもなる。
音楽はまさに“感情を表した人間の表現”なんだなあと、父を見ていて思う今日この頃。(2013-03-05)

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最近、片づけをしているんだけど、父の四十九日の頃にメモしたノートにこんなことが記してあった。
・高齢者の介護では老化が原因とされてしまうことも多く、合併症に繋がっていることに対するケアの難しさがある気がする。認知症だけなのか、他の病気や後遺症もあるのか、また認知症はないのか。それらによってケアも様々なのに、これらみんな要介護認定者と言う共通性だけで一つの施設に集められるのは無理な部分もある気がする。
・父の場合、そもそも心房細動がきっかけで脳梗塞になったのだが、死因の肺炎も肺梗塞状態だったと言われた。それなのに介護の期間中、心房細動であることを私はケアする人たちによく伝えていなかった気がする。介護生活の中で父の血圧も正常になっていたし、栄養のバランスも良かったし、ストレスもなさそうだったし…。反省してる。
・振り返ってみて改めて思い、少し辛くなることは、父は失語症だったので本当はどう感じていたのだろうか?とか、本当はわかっていたのではないか?とか、毎日の介護生活の中では次第に気にしなくなっていったこと。
・亡くなってから襲ってくる思いがある。そういう状態への心のケア。介護後のメンタルフォローは必要。自分で乗り越えるしかないか。(2013-03-04)
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