ケアダイアリー介護する人のための手帳
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500字のつぶやき バックナンバー【2013年2月】

赤文字のコラムは〈介護する人のための手帳〉各ページの使い方を紹介しています。ぜひご参考ください。


昨日に引き続き「在宅看護セミナー」受講中のメモです。(以下のメモは、講師のお話を聴きながら、筆者の言葉に変えたり、言葉を加えたりしたメモです。文責:浅井)
・看護は信頼関係。だから「心と手」が大切。心の入った手は違う。心の入っていない手は逆効果。患者さんから言われた言葉がある。「薬も医者もいらないよ。その手があれば、それが看護だよ」
・介護こそまさにそう。介護者の手があればいい。
・例えば、吸引器の音が嫌いな人もいる。看護師はそういうことに気付かないといけない。本人の様子を見て、本人に最も適した方法をセレクトしようとする心があるか、ないか。
・好きなことに接していると症状に変化があるもの。そうすると介護されるほうも、するほうも、少しでもより良い暮らしができるはず。笑顔がある生活を取り戻せるように。
・「連携」と言う言葉だけが先行している気がするが、連携はしなくてはいけない。心がつながっていることが本当の連携。→「連携」の中に家族もいる。家族が知っている本人の情報(どんな人なのか、好きなことは何か、関心を持っていることは何か、したいことは何か…)を、看護者と介護者にもっと知ってもらうために「介護する人のための手帳」を活用してほしい。家族だからこそまとめられる本人の情報と記録は、「連携」にとても役立つと思うから。*このページの右ページをコピーして介護に関わる方たちに伝えてくださいね。→こちら
・在宅介護では、長い間お世話になるヘルパーさんと共に看護師さんがいて、最期までよい看取りができると心から思った。(2013-02-27)

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昨日のコラムの続きとして「在宅介護セミナー」受講中のメモをちょっと転載します。
(以下のメモは、講師のお話を聴きながら、筆者の言葉に変えたり、言葉を加えたりしたメモです。文責:浅井)
・介護していた人自身も年を取っていく。そして最後はみんなひとりになる。在宅で最期を迎えられるようにやっていかないといけない。そのために体制さえ整えばいいと思っている今の方向にストップをかけなければならない。それができるのは看護師。だから訪問看護の必要性を訴えていきたい。
・子供が病気になったら寝ないで母親や家族が看病するのが普通。つまり看護の原点は在宅にある。
・介護と看護の両方が必要。
・(村松先生は)在宅で看護・リハビリするやり方を、手探りで作り上げてこられた。
・いわゆる植物状態と言われる方でも、例えばお孫さんの呼びかけには反応するなど、在宅だから起こり得る事例がある。家にいる安心感は大きい。
・病院は医療処置が終わると「帰っていいですよ」と簡単に患者に言うが、実際にすぐには動けない患者が帰ってからどうやって在宅で過ごせばいいのか。そこに「心」はあるのか?家族は「心」を求めている。
・家でどれくらいのことができるのかが家族にはわからない。医者は細かく具体的には教えてくれない。看護サマリーだけもらって介護につなげるには足りないものがある。患者や家族は看護師に教えてほしいことがいっぱいあるし、継続して看護師に相談したり、来てもらったりしたい。→訪問看護の必要性
メモ転載は明日も続きまーす。(2013-02-26)

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昨日の日曜日、村松静子(むらまつせいこ)先生のお話を聴くことができると知り、江古田の森で開かれた「在宅看護セミナー」に参加しました。
現役看護師の方を中心に、在宅看護に関心のある方たちがたくさん来られていました。
私が村松先生に初めてごあいさつさせていただいたのは、昨年10月に東京・中野サンプラザで行われた「メッセンジャーズナースと市民交流会」でお会いした時です。
その時の様子を10/15のコラムに書きましたので、ぜひ参照くださいね。→こちら
その際、発言する機会を与えらた私は、「医師、看護師、そして患者とその家族がみんな同じ目線で話がしたい」と言うようなことを申し上げたところ、村松先生の思いも同じようなところにあるとのお言葉を頂戴し、とても心強く思った次第です。
そして今回、先生が私にマイクを向けられてしまわれたので!?またありがたく一言お話させていただいたのですが、昨日は、次のような発言をいたしました。
「本日の村松先生のお話の中で、今日新しく確信したことがあるんです。それは在宅での看取りの時に、最もその場にいてほしいのは看護師さんだということに気づいたことです」。
この日は村松先生と活動を共にされている訪問看護師の仲野佳代子さんと鈴木紀子さんの貴重なお話も拝聴したのですが、鈴木さんの言葉の中に「・・・思いっきり介護したと思える・・・」と言うものがあって、これは看取りする家族がとても望むものではないかと思ったのですね。
長年または頑張って介護している時に不安になるのは、これだけしてきてるけど、よい看取りを最後にできるだろうかと言うものです。
家族が「思いっきり介護した」と思えるためには、訪問看護師の存在が実は不可欠なんだ!と言うことを、この日のお話を聞くにつれ心から思ったのです。
在宅介護では、介護サービスでヘルパーさんが訪問されて身体介助や家事支援をしてくれますが、高齢者で要介護状態の場合、何らかの医療的な問題もあるはずなんですね。
毎日バイタルを測っているけれどもこれは注意すべき数字なのか?
食べにくくなっているけれども誤嚥の心配はありそうな状態なのか?
排便がどうもうまく調整できないんだけど、どんな方法があるのか?
などなど、家族やヘルパーではどうしてもわからない判断が日々起こるし、当の本人である要介護者こそがおそらく、看護師が訪問してくれれば安心するのではないか、それが結局在宅介護をよりよいものにしてくれるのではないか。
そんな考えが昨日のセミナーの間中、私の頭の中でぐるぐる回っていました。
そして、ヘルパーと看護師の両方が訪問してこそ、家族が安心して最期まで看取ることができる、という確信のようなものが湧き上がってきました。
現在のヘルパー訪問と同じく訪問看護師が当たり前のように在宅介護の現場にいることを、これから機会があるごとに、私も強く訴えていきたいなと思います。
だから、訪問看護を目指す看護師さんたちもたくさん増えますように。
でも昨日、素敵な女性がおられました。
長くヘルパーをされながらも現在、ヘルパーの仕事しながら看護師を目指して学校に通われているたくましい若い女性の方が出席されていました。
なんだかすっごく嬉しかったです。
「介護する人のための手帳」のチラシも持って行った分すべてお配りすることができました。
介護手帳に関心持ってくださった方たちにも深くお礼申し上げます。(2013-02-25)

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昨晩、空海=高野山の番組(NHK)を放送してた。
私は無宗教だけれども、家は浄土真宗なので、父が亡くなってからは毎日仏壇で拝んだりしている。
親鸞だけでなく仏教全般に興味がなくはないので、空海の番組も興味深かった。
空海が残した言葉が紹介されたが、これがよかったのでちょっとメモしました。
――――――――――――
あなたの心が暗闇であれば
出会うものは
ことごとく禍(わざわい)となります
あなたの眼(まなこ)が明るく開かれていれば
出会うものは
すべて宝となります   「性霊集」より
――――――――――――
これって「レ・ミゼラブル」のテーマにも通じるような…
古今東西、真理は同じと言うことでしょうか。(2013-02-21)

一昨日の日曜日の晩、BSプレミアムで「ペコロス、母に会いに行く」のドラマ版が放送されましたね。
あの原作を1時間という制限の中で素敵にまとめられていてうれしく思いました。
キャスティングも、演技も、そして構成もよかったですね。
原作の『ペコロスの母に会いに行く』については、このコラムでも12/13と12/20に触れております。
原作も、ドラマも、介護に焦点を合わせたものではなく、認知症になった本人とその家族を自然体で描いたものです。
こういうテーマにありがちな美談、または肩に力が入ったメッセージ色の強いものはなくて、認知症になった母と同居する息子の生活と人生を、さりげなく切り取っているところが魅力であり、見る人によっては救われるものとなっています。
最後のセリフに「認知症も悪くない」というメッセージと言えばメッセージとも言える言葉が出てきます。
それだけを聞くと、認知症に関わっている家族の中には「とんでもない!」と思われる方もおられるかもしれませんが、作者は認知症の症状によって困らされる事柄も多いと同時に、気づかされることもあって、母の様子がどうにもこうにも心に残り、漫画に描きたい衝動に駆られます。
総合的に考えると「悪くない面もある」と言う作者の穏やかなメッセージに共感した人が多くいてこそのベストセラーなのではないでしょうか。
私は、認知症になった父のことを、語弊ある表現を承知で「あの世とこの世の“間”に生きている感じだった」とある人に話したことがあります。
認知症になった父を見ていると、人間は一個の生命体と感じ、そう思ったのです。
ペコロスでも、認知症になったお母さんが亡くなった夫としょっちゅう会うシーンが描かれます。
お母さんにはお父さんが見えるんですね。
これはファンタジーでもなんでもなくて、本人にとっては現実であり、介護する家族はその貴重な瞬間を目撃することになります。
認知症による変化は、長年一緒に暮らしてきた家族だからこそのつらさがありますが、時が経てばなんにでも変化はあるものだと思えば、認知症による変化も一つの変化なのです。
失ったものは多いけれども、新たな発見やきっかけも生まれる人生最大級のプラマイ変化と言えるでしょうか。
親が認知症になれば否が応でも家族の思い出がよみがえりますし、親の人生はなんだったのかと感じ入りさせられます。
そして、介護者は自分のこれからの人生をおもう糸口を与えられる・・・。
そう考えれば、認知症も悪くないのです。
それは、人間とは所詮こんなもんだ!という、親が子供に対して体を張って見せる、人生の最後の教育のような、私にとってはそうだったかもしれません。(2013-02-19)

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在宅介護が始まってからは水道代が倍になったものでしたと昨日、ツイッターでつぶやきましたけど、お宅によっては水道代だけじゃなく、電気代、ガス代、そのほかの公共料金の支払いも増えてしまいますね。
「在宅」と言うのはそういうことなんだということですね。
施設入所にはお金がかかりますが、在宅介護も今までの生活費以上のお金がかかるものです。
しかし、このあたりのことって案外、見落とされている気がしますね。
在宅介護は、経済的にも、物理的にも、様々な協力があってこそ成り立っていますから、本当にいろいろな工夫が必要になります。
その助けの一つが助成制度。
家族介護の手当てのようなものは国全体の制度にはありませんが、おむつ助成に代表されるような介護(福祉)の助成は、各自治体にほぼ任されています。
なので、在宅介護の際は、必ずお住まいの自治体の助成制度を確認してくださいね。
昔はヘルパー2級を取得した家族介護者には手当が出る、なんてこともあったようですが、今はそういうものは聞かなくなりました。
但し、要介護4以上の要介護者の介護している在宅介護者に手当が出るなどの助成をしている自治体はあり、検索してみると案外ヒットします。
・石巻市の「家族介護慰労金支給金事業」 → こちら
・明石市の「家族介護手当」 → こちら
・福岡県粕屋町の「在宅介護者ねぎらい手当」 → こちら
など。お住まいの自治体はいかがでしょう。
また、各自治体では様々なタイプの助成を行っていたり(神奈川県愛川町を例にとると、はいかい高齢者検索端末の貸与やホームヘルパー2級資格取得費助成など→こちら)、新年度からの新設されたりする制度もあるかもしれませんので、お住まいの自治体のホームページをちょこちょこチェックされてみてくださいね。
しかし、これらはケアマネジャーさんにこそお願いしたいものです。
介護保険サービス以外の福祉サービスを、利用者及び家族が利用できないかはケアマネさんのほうから情報を伝えていただけると本当に助かります。
結局のところ、そういう情報をきちんと教えてくれるケアマネさんが最もありがたいものなのです。(2013-02-15)

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最近ようやく家の中の片付けに手を付け始めていたら、在宅介護が始まって10か月経った頃のブログがノートに貼り付けてあったのを見つけたので、ちょっと転載してみようかと。
2010年4月、タイトルは「認知症介護」
―――――――――――――――――
現在、父親の介護の為仕事を休んでいるが、父は認知症&脳梗塞後遺症で生活全般に介護が必要であり、しゃべれない。
デイサービスに週3回通うほかは、ほぼ1日車椅子に座ってリビングにいる。
食べることとおむつ交換のためにトイレに連れて行かれる以外は、ずっと同じ場所にいる。
そして私を見続けたり、テレビを見たりしている。
認知症になりしゃべれる頃は大変だった。
その後、脳梗塞になり言語障害が残ってからは、歩ける頃が大変だった。
そして、しゃべれなくなって、歩けなくなった今の状態は、かわいそうに思うかもしれないけれども、なんていうかな、父は幸せそうにも見えるんだな。
だって毎日ほんとによく笑う。
私を見て笑い、テレビを見て笑う。
私と母のことを完全に信頼しているのか、昔はまず見せてくれなかった笑顔を見せる。
父が笑うから私も笑うし、母も笑う。
父がなぜこんなに笑うのか、私の現在最も興味深い謎である。
とにかく笑いの連鎖反応があるおかげで介護生活をしていても今は結構明るい家庭になっている。
昔、音大の受験勉強や学生時代のピアノの練習、社会人になって仕事の場面で「目の前にあることをやらなければならない」のに、四の五のと言い訳ばかりで逃げていた私。
しかし、介護は四の五の言っていられず、人生初めてのやりたくなくてもどうにかしなくてはいけない「目の前にあるやらなければならないこと」であった。
介護を始めた頃、3日でこれはとても無理なことだと思ったが、やめるわけにいかないから、落ち着け自分!と励ましながら、必死に方法を考えてトライ。
ただただ続けてみた。
すると予想外にやりがいを感じたり、自分の中にかつてない感情がわいたり、様々な思いをもったりして、考えていることと実際と言うのは違うものだなと思ったり。
父は最近、棚に飾ってある自分の元気な頃の写真を手に取って見ていることがある。
その時の父の表情を見ていると、言葉には表せない感慨が起こる。
人間の体裁を繕わないまっすぐな感情表現を目の当たりにしているような。
切なくもなるけど、愛おしさでいっぱいになる。
今は、とりあえずそんな毎日を過ごしている。
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(2013-02-14)

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昨日のツイッターで「ヘルパーさんがもっと積極的に家族とかかわっていくことも必要」と言うつぶやきに賛同し、少しやり取りさせていただいた。
うちの近所の介護仲間のお宅に訪問していたヘルパーさんは、訪問件数を絞って一つのお宅とのかかわりを深くもたれている。
そのおかげで、要介護者本人だけでなく、家族や近所の方たちとの交流もあり、私も自然にそのヘルパーさんと知り合いになった。
で、このメリットが実に大きい。
要介護者が亡くなってからも残された家族とは友人関係になっていたから、その家族が入院した際は、介護サービスとかでなく、普通に友人としてお世話していた。
そして、そのヘルパーさんが忙しい時は、私など知り合いになった近所の人に連絡をくれた。
おかげで私たち近所の人たちは、まずはそのヘルパーさんに頼ることができ、そのうえで協力もできるので、一人一人の負担をシェアできる。
ツイッターでもつぶやいたけれども、このような関係がつながって初めて「地域密着」が始まる気がするんだよね。
そのきっかけにヘルパーさんが果たす役割は大きい! 
訪問先を絞っても、その甲斐あって付加価値が高くなれば、近所力を巻き込み地域で見守る介護という理想を目指せるからだ。
ヘルパーという仕事は、介護保険サービスの枠だけでない大きな可能性を秘める介護の世界で最も誇り高い職業と私は思っています。(2013-02-13)

24時間の在宅での社会的介護が進まない記事が出ましたけど、当然でしょう。→こちら
厚生労働省は次々と新しい仕組みを打ち出すけれども、うまくいかなかったものの原因を正面から受け止め、しっかり反省してから次の企画を考えてほしい。
厚労省は「『大変そう』『もうからない』というイメージがあり、ちゅうちょする自治体や事業者が多いのだろう。ケアマネジャーの理解も進んでいないようなので、内容の周知に努めたい」としているようだが、ケアマネの存在と仕事が理解されていても24時間介護は無理だし、事業者は大変そうだとか儲からないとかのイメージで24時間介護をちゅうちょしているのだろうか?
自治体もいったいどんな手を打てば事業者に24時間介護をするよう働きかけられるのかわからないのではないか。
24時間介護をしている家族介護者は、いくら大変そうでも、もうからなくても、やっているし、心ある介護事業者はそれを助けたいと思っている。
そこで国は、成功している事例を徹底して分析して、多くの自治体及び事業者が現実的に取り組めるビジネスモデルをしっかり作り出すために考え抜いてほしい。
お願いします。(2013-02-12)

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昨日(2/6)の朝日新聞朝刊の「認知症とわたしたち」では、「6カ国集い政策シンポ」の記事が掲載されていた。
その大きな見出しは「その人らしい生き方 守る」とある。
間違いない。
でもね、最近私はこういう「その人らしい」とかいう言葉に違和感をもってきていますね。
「その人らしく生きていけるように」なんて言い方しなくたっていいじゃん、ただ「普通に生活できるように」でいいんじゃん、って思うわけです。
その人らしさなんてさ、元気なうちだって難しいでしょ。
認知症ケアは、理想をまず掲げるのではなく、現実に対処することなんだよ。
シンポジウムでは、イギリス、フランス、オーストラリア、デンマーク、オランダ、そして日本からのそれぞれの認知症対策が報告され、各国のその対策が簡単な表で紹介されているんだけど、その中でフランスの「医療・介護・福祉サービスの相談窓口の一本化」がとても良いのではないかと思った。
日本はと言うと「全国で390万人以上の認知症サポーター養成」を力を入れている対策として書かれていてね、シンポでも関心が集まったとされているんだけど、なんだか気持ちが冷める。
認知症への理解を広げることが目的の「認知症サポーター講座」は、各地の自治体等で開かれる90分の講座。
ここで学んだ人を「認知症サポーター」とする取り組みで、私も以前に受けたけど、その場限りの認知症に関する知識を得るくらいのものとしか思えない。
はっきり言って、何の役にも立たない。
そして、我が国の厚労省の新年度から取り組む認知症対策の5カ年計画が「オレンジプラン」。
これは「認知症初期の段階で看護師や保健師、作業療法士らが自宅を訪れ相談に乗るチームを地域包括支援センターなどに置く」ものだという。
認知症ケアは介護の世界だとか言っていたのに、今度は介護から医療への転換か?!
いやはやである。(2013-02-07)

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現在放送中のNHK連続テレビ小説「純と愛」。
毎日欠かさず熱心に見ているわけではないのですが、夜11時の再放送をたまたま見たり、土曜日の集中再放送をたまに見たりしています。
最近の展開は、介護に関わる話が多いので、大変興味深く見ています。
主人公の純は今、「24時間コンシェルジュ」をしていますね。
これって介護現場で言うところの24時間ケアと通じるものと感じ、24時間見守るシステムってこういうことだよ、大変なんだよ、でもこういう人いるんだよ!と作家(脚本家)の遊川和彦氏が伝えているような気がしてなりません。
そして純のお母さんが若年性認知症になりました。
本人の症状や様子、周囲の反応や対応の仕方など、作家の遊川和彦はよく考えられていると思います。
これでもか!と言うことがあっても“再生”はあるんだと言うものを、あの遊川氏の大ヒット作「家政婦のミタ」で私はもらったと思っているから、「純と愛」でも介護と家族と言う答えの出ない問題を、どう遊川氏が持って行くのかに期待しています。
ところで離婚届の用紙はどうなるだろう?と思っていたけど、そもそも配偶者が認知症になってからの離婚請求って無理なんじゃないかな、確か。(2013-02-06)

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介護の医療の連携。
介護保険と医療保険が別々なことが二つの連携がスムーズにいかない一つの原因と私は思っている。
保険治療、保険サービスで成り立っている病院と介護事業である。
それぞれのルールの範囲で精一杯やるだけでもういっぱいいっぱい。
連携業務なんて誰がするの?なわけである。
今日、マンションの隣人宅に母と伺った。
歓談の中で高齢者の終の棲家の話になった。
このマンションに最後まで住むにはどうするかである。
私はふと、マンション内のどこか一室でも普段みんなが集まれる部屋があったらいいのにねー、と思って、そう言ってみた。
帰宅して、この記事を見た。→こちら
看護師の方が、訪問看護と介護支援事業所を開設し、ある賃貸マンション3件を借りて、24時間のケアを行っているという。
「1人当たりの月額利用料を家賃や光熱費、食費、おむつ代、介護保険の自己負担なども含め計8万円ほどに抑え、入居一時金もない。一方、地元の開業医と連携して医療の質を確保。看護師やヘルパーが利用者と1対1で向き合う時間を大切にしている。」
素晴らしい!
これ、やろうと思ったらできそうだよね。
やろうとする情熱だよね。
介護士と看護師がタッグを組めば!に期待したい。
そして、利用者側の私としては、将来マンションの一室をこういう風に使えるようにすることだってできそうな気がしてきたぞ。(2013-02-04)

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時として人間関係には振り子の原理のようなものがある、という気がします。
私はツイッターで父のことをパパちゃんと書いたり、このコラムで家族介護のことを書いたりしているので、在宅介護をがんばった娘の部分が強調され映っているかもしれません。
しかし物事にはたいてい光と影、明と暗があるものです。
でもやはり、影とか暗があるから、光や明が浮き上がってくるのだとつくづく思います。
父の認知症の兆候が見られた頃、我が家ではとんでもない事態が発覚し、その後の在宅介護は選択の余地がないものでした。
そのとんでもない事態の収拾のほうが正直言って私には介護を始めることより精神的な負担は大きく、まあ人生とはよくできたもので、大きな悩みは小さな悩みを隠すと言いますが、介護の悩みもでかいものでしたが、介護のほうは時間的及び物理的な理由から腹くくれる範囲のものでありました。
しかし、そのしょうがなく始めた介護のおかげで、とんでもない事態のほうの対応に勇気と力をもつことができました。
介護をしていなければその事態収拾を負担する気持ちにならなかったでしょうし、父に対しては恨みばかりが残る晩年に接することになっていたような気がします。
その頃のメモには「愛は憎しみの中からしか生まれない!」なんて書いています。
が、同時に「夢はひとすじの光から生まれる」とも書いてたり…。
愛憎と言う言葉がありますね。
片方に偏る振り子の振り幅が大きいと、戻ってくる振り幅も同じだけ大きい。
物事全てには当てはまるとは思いませんが、身近な人間関係には時としてこの振り子の原理が当てはまることもあると、私の場合は実感しました。
介護したことによって、父の晩年を恨みだけで終わらすことをしなくて済み、最後はこれほど愛しいという気持をもつことさえできました。
不思議なものです。
在宅介護や家族介護は美談ではありません。
ただ、人生の最後に何か暗の部分を残しそうならば、影から光に向かってほしい。
それは、本音で、そう思います。(2013-02-01)
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