ケアダイアリー介護する人のための手帳
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500字のつぶやき バックナンバー【2012年11月】

「介護する人のための手帳」は、全国紀伊國屋書店14店舗に置いてございますが、どの売り場に置いてあるのか?
すぐに見つけていただけるよう、本日はわかる範囲ではございますが、売り場の棚のご紹介です。
・新宿本店、新宿南店、横浜店、流山おおたかの森店 → 「介護」の棚。
・梅田本店 → 「ケアマネ試験」の棚。
・福岡本店、札幌本店、玉川高島屋店、長崎店 → 「福祉」の棚。
・広島店 → 「手帳」の棚
・さいたま新都心店 → 「栄養学/福祉」の棚。
・国分寺店、北千住マルイ店 → 「介護/福祉」の棚。
・福井店 → すみません、未把握です。
以上、よろしくお願い申し上げます。(2012-11-29)

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3連休を前に、本日は新コンテンツのご紹介です。
お待たせいたしました〜!「曜日入り年間カレンダー」をやっとアップいたしました。
日付フリーの「介護する人のための手帳」は、いつからでも使えるのがメリットですが、そのため年間カレンダーのページにも曜日が入っていません。
曜日を書き入れるのがけっこうめんどう!?かなと思いまして、「曜日入りの年間カレンダー」をご用意いたしました。
こちらのページからご利用くださいね。
それからもう一つ。
「介護する人のための手帳」お取り扱い店のページをアップいたしました。
こちらのページをご覧くださいね。
「介護する人のための手帳」を、店頭で実際に手に取って見てみていただけると嬉しいです!(2012-11-22)

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介護生活の頃にふとメモっていた言葉の第5弾、とりあえず最終回です。
父が半年の入院生活から退院して在宅介護を始めたものの、私は3日で挫折しそうになり、1週間でこれは無理だと思いました。
一時もじっとしてなく、何をするかわからない父につきあってヘトヘトになったからです。
睡眠不足が続くそんな在宅介護4か月余りが過ぎた頃、昨日紹介した大井先生のご著書の言葉に出合い「心を通わす」一点に思いを巡らせました。
すると(2012-10-16)にコラムに書いた出来事があり、父と私の関係に変化が起こりました。
介護生活にも慣れ、父の様子が比較的安定してきたのは、在宅介護が始まって8か月経った頃です。 その時期にメモった言葉です。
「認知症になった人は、もともとの性格が出るという。でもそれは認知症の人を介護する人も同じだ。もともとの性格が介護を通して出てくる」
「人のためにがんばるほうが力が出るし、それが結局自分のためになる。その流れを知った人はよりよく生きられるのかもしれない」(2012-11-20)

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介護生活の頃にふとメモっていた言葉第4弾は、これまでツイッターでもよく紹介させていただいている本『「痴呆老人」は何を見ているか/大井 玄』(新潮新書)からの引用です。
私の場合は、この言葉のおかげで、介護の仕方にヒントを得て、救われました。
「認知能力の衰えた人が安心できる環境は、愛情と工夫があれば多くの場合整えることが可能です」
「話を通じさせる、ではなく、心を通わすのが、認知症の老人とのコミュニケーション(意思疎通)の極意である」(2012-11-19)

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80歳を過ぎ、90歳、100歳と超高齢なってくると、大きな持病をもたず元気に食べていた人であっても、誤嚥で悩むケースは出てくる。
そう考えると、高齢者医療&介護ではもっと口腔外科との連携を考えてほしいし、介護サービスのリハビリでは必ず誤嚥予防を入れてほしいと思う。
認知症だろうと、脳血管性の病気だろうと、骨折後のリハビリがうまく進まずベッドにいる時間が多くなった場合だろうと、最期の死因が誤嚥性肺炎と言うケースがとても多いように思えるからだ。
そこにもっと目を向ければ、胃瘻の論議も必然性を帯びてくるし、様々な事例からそれぞれの人が考えるヒントを与えてもらえるのではないか。
言語聴覚士の活躍と、口腔外科の専門の方たちの高齢者介護への関心をすごく期待してます!(2012-11-15)

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有料老人ホームでの「高齢者の住まいトラブル110番」が11/16(金)に実施されます。
詳しくは→こちら
今や、特養に入るのは、くじに当たるようなものとされ、民間の有料老人ホームを選択するのが一般的になってきたと言えるでしょうか。
介護保険サービスの支給が利用できる高齢者の住まいには、いくつか種類がありますが、すぐに入所できるとしたら、有料老人ホーム、サービス付き高齢者向け住宅、ケアハウス(軽費老人ホーム)、くらいかなと思います。
でも、有料老人ホーム以外はいわゆる施設と言うより住宅なので、介護を常に必要とする場合は、有料老人ホームを検討せざるを得ないのが現実なんですね。
しかし、有料老人ホームは空いていても費用が高いため、誰でも選択できるわけではありません。
最近、我が家に入ったチラシを見ていると、一番大きな字で掲載されている費用だけを見たら、厚生年金をもらっている人だったら何とか年金で毎月賄えそうに思えますが、食費、水道光熱費、介護保険サービス自己負担を加えると、結局のところ毎月25万円〜30万円かかります。
国民年金のみの人は、よほど蓄えているか、もしくは資産がないと無理な数字でしょう。
施設に預けるかどうかの選択が、家族が介護できるかとか、するかどうかの選択よりも、経済的なハードルで選択の余地がないと言うケースがほとんどであることが、逃げ場のない介護家族の精神を圧迫していることの一つだと思います。(2012-11-14)

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本日はお知らせです。
全国の紀伊國屋書店で「介護する人のための手帳」の取り扱いが始まりました!
置いてくださっている店舗は次の通りです。
札幌本店、新宿本店、新宿南店、国分寺店、北千住マルイ店、玉川高島屋店、横浜店、さいたま新都心店、流山おおたかの森店、福井店、梅田本店、広島店、長崎店、福岡本店。 これらの店舗がもしもお近くにありましたら、実物の手帳をぜひご覧になってくださいね。
ちなみに、新宿本店には、5Fに「医書センター」 というのがありまして、医療系手帳展開中の中にわれらが介護手帳も並んでいるようです。
その他の紀伊國屋書店各店舗においても、ご注文くだされば、倉庫に置いてくださっているものをすぐにお取り寄せしていただけます。
なにとぞよろしくお願い申し上げます。(2012-11-12)

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本日も、介護生活の頃にふとメモっていた言葉、第3弾です。
「人生に成功と言うものがあるとすれば、それは人の救いに触れ、生き直し、静かに生を全うできる。そういうことではないだろうか。」
「若いうちに、苦手なことや面倒だと思ったことほど、しなくてはいけなかったんだな。」
「“身につける”ほど大切なことはなかったってことに、大人になって気づいた。身についたものからしか自然さは会得できないのだ。」(2012-11-08)

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今日は、10/25の500字のつぶやきに続く「介護生活の頃にふとメモっていた言葉」の第2弾です。
「介護は、生活の一部であって、すべてではない。」
「自分が逃げていると感じたら、明らかに逃げている。」
「一日一日を丁寧に暮らすとは、きっと逃げない毎日を送ることなんじゃないだろうか?」(2012-11-07)

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昨晩、あるツイートを見て思ったことがある。
介護を必要とする家族を「守る」という気持が強くあると、介護することはやりがいになったり、介護をすることに意味を見出したりできるのかもしれないと。
私もこれまでツイートで「父を守る」と言う言葉を何気に使ってきたが、だから介護をある程度ポジティブに受け止めて出来たのかもしれない。
「守る」と言うのにもそれぞれの家族の事情によってさまざまな意味や背景があるだろう。
うちの場合は、身体介護をする前にまず「父のお金を守る」と言うのがあった。
その後、父が脳梗塞になり「父の体を守る」が加わった。
と言うこともあって「家庭を守る(父と母を守る)」という意識が強く私の中にあったため、仕事をやめることができたし、出来うる限りのことをしようとする気になったと言えよう。
あなたは何を守りたいですか?
介護をする、しない、何を守るかは自由な選択ではあるんです。(2012-11-06)

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介護をする前に不安だったことの一つに、父親の排泄処理ができるかな?と言うのがありました。
在宅に戻るまでの半年間、入院生活していたために、帰宅した時は既に全日おむつ状態になっていたので、毎日毎回のおむつ交換が私にできるのかなあ?が具体的な不安でした。
本人の抵抗よりも、むしろ、恥ずかしながら、臭い、汚い、であろうことに私は耐えられるのだろうか?と言う不安ですが…。
結論から言えば、意外なほど平気でした。
臭いも汚いもたいしたことがなかったからではなく、すぐに慣れたから・・・。
毎日のことなので、ただただ慣れたのかぁ?!
「落ち着け、自分!」と言う状況が最初の1年には何回もあり、それは、なんか臭うな〜と思ったら、リビングのソファに座っている父の両手に茶色いものがいっぱい!
そんなことが何度もあり、その時はさすがにあせったけど、そういうことがあったからこそ慣れるのも早かったのかもしれませんが、はぁ〜。
でもね、人間と言うのはすごいもので、臭いと汚いはやっぱりけっこう慣れるみたい、と思うのです。
きっと、自分自身に毎日ある事柄は、人のことでも大丈夫になる、と言うことでしょうか?
それにしても不思議なのは、認知症になるとなぜ汚いことが平気になるのでしょう?
脳って神秘だなあとつくづく思います☆(2012-11-05)

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昨日はツイッターで介護が早く終わってほしいが反面、終わる日が来ることを恐れていると言う葛藤について、フォロワーさん数人とやり取りしました。
日々、両方の気持ちが交錯しながら介護している人がほとんどのように思います。
子育てと介護には似た部分があると比較されることがありますが、それは自立していない者に対して世話をするという共通点があるからでしょう。
加えて、子育てには将来への夢や希望があるけれども、親の介護にはそれがないから前向きになれない、と言う声もしばしば聞かれます。
子供が経済的自立を果たしても、親が子を心配している限り子育てに終わりはないのではないでしょうか。
でも、親の介護にはいつか終りがあります。
親の介護が終わるときは永遠の別れです。
大きな悲しみが訪れます。
けれども、長年介護してきた人には大きな開放感も同時に訪れます。
その両方の大きな感情が押し寄せてくるのを受け止めることこそが、自分が大人になったことを自覚できる瞬間ではないだろうかと、私は考えるのです。
早く介護が終わってほしいという思いは自然な気持ち、だから自分を責めない。
そう思いながらも介護はしている。
そして、いずれおとずれる別れの時には、やっぱり少し悔んだり、ちょっと自分を責めたりする。
こういう葛藤の日々は、自覚を育む貴重な体験の日々となり、人生の糧なんだろうと感じます。
介護されていた親は、介護してくれていた家族が、自分との別れを糧に前向きに生きていくことを望みながら旅立っていくのだと思うのです。(2012-11-02)

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介護が始まる1年前頃、ある友人と話していて、彼女からターシャ・テューダーのことを教えてもらった。
NHKで何度か番組が流れていたらしいが、当時私は全く見たことがなく、その日家に帰って早速、ネットで調べ、ターシャのことを知ることとなった。
それから1年後、父の通い介護が始まった頃に私はふと、ターシャの言葉を思い出した。
「一日一日を丁寧に暮らし、手作りの良さを大切にする」
それからまた1年後、父の在宅介護が本格的に始まってから初めての年賀状に、私はターシャの言葉を引用し、このような気持ちで最近は毎日生活をしていたいと思うようになったと記した。
介護生活を通じて最も感じたことは、実はこういう「生活」についてだった。
それまでの仕事中心の生活はおよそ・・・一日一日を丁寧に暮らし、手作りの良さを大切にする・・・とは真逆の感覚。
介護生活にもこのような余裕はもちろんまったくないのだが、介護のため家の中にずっといることで、私の場合はこのような感覚がよみがえってきたのかもしれない。
それは、昔々から人々が営んできた生活と言うか、とにかく丁寧に生きてみようと思うようになった。
で、まずは、丁寧に父のお尻を拭く?から実践した〜?!(笑)(2012-11-01)
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