ケアダイアリー介護する人のための手帳
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500字のつぶやき バックナンバー【2012年10月】

今週は、介護生活の頃にふとメモっていた言葉をいくつか記してみます。
「人間が正常な状態の時は実は仮面をつけているのだと、認知症になった父を見て思う…」
「認知症介護の世界はコメディ要素が多い。
それが明るい介護につながるかな。
だって、これほどコミュニケーションをとろうと努力する世界はほんとのところあまりないから」
「日常のささいなことの気づきからしか、物事は語れない」(2012-10-25)

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「介護する人のための手帳」を、いろいろな方たちに見ていただき、様々なご感想やご意見をいただいております。
すると、実際に介護されている方と、そうでない方とでご意見が違う箇所があります。
それは、手帳の前半部分のデータ類を別立てにしては?と言うご意見です。
でも、介護を経験している方は、そう思われた後にすぐ「1年経つとその部分も変化しているかもですね」と気づいてくださる。 ピンとこられる。
状態が安定していて、幸いそのデータ類の内容にあまり変化がなかったとしても、1年に一度書きかえることによって、振り返ることができますので、気づいていなかった変化に気づくことがあります。
「介護する人のための手帳」は、毎日の介護記録を付けられて、1年間使用できる介護手帳です。(2012-10-25)

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家庭の数だけ介護の姿があって、本当に介護は一言では表せるものではありませんね。
それまでの家族関係が露わになったり、気持ちはあるんだけど、経済的に、物理的に、どうしようもないジレンマに陥ったり、介護が地獄になるか、それとも天国とは言わないが何か良いきっかけになるかは、総合的な運命によるとさえ言える気がします。
だから私は、人様の介護生活が、他の人様に役立ったり、影響を与えたりすることなんて、それほどない気がしているんです。
介護に関する情報は役立つけれども、個々の介護生活の話は家族関係の話でもあるため、人さまが口を出すのは難しい。
自分にとって、この状況をどうとらえるか、どう乗り切るか、どう糧にするか、人生の一大事として試されていることは確かなのだから、自分自身でしっかり考えるしかありません。
私の場合は、人生を折り返したくらいの年齢におとずれた介護問題だったことが大きなポイントとなりました。
それまで仕事一筋ぽい人生でもあり、認知症になった父もワーカホリックだったこともあり、介護生活自体が地域に根差した普通の生活をを取り戻すきっかけになったのです。
介護が終わっても近所づきあいは続けることができます。
商店街を歩けば必ず数人あいさつする方がいます。
介護は徹底した生活支援活動ですから、人が生きていくという最低限の感覚が、父を看取った感覚も合わさって残りました。
つまるところ、生活や人生のバランスの大切さと言うものを教えられた気がしています。
でも、これはあくまでも私の場合、なのです。(2012-10-24)

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介護と医療の連携、ケアマネの役割など、昨晩ちょこっとツイッターでやり取りしました。
問題山積みの介護や医療の現状、その原因を一概に構造上の問題や国の方針の在り方ばかりに求めても仕方がないような気がするんですよね。
ぶっちゃけ、ケアマネも、ヘルパーも、看護師も、医師も、人によるなあと言えなくもないのでは?
良いなあと思える彼らに出会えれば、とっても良い思いができますし、良くないなあと思える彼らに出会うと、とっても腹立たしい思いに陥ります。
父の介護の間には、私も素晴らしい医師にも出会えましたし、とんでもないと感じる医師にも出会いました。
ケアマネジャーの実力を何で測るかは未だによくわかりませんが、ただただその人の人間性の善し悪しが相性を測れる基準だろうかと思うくらいでお付き合いは終わってしまいました。
ヘルパーや看護師はしっかりスキルと言う基準があるように思いますが、その前に感じの良さが一番に感じます。
でも、きっと彼ら側からすれば、家族こそいろんな人がいるんだよ!と言いたいのかもしれません。
いがみ合ったってなにも良い方向にはいきませんね。
介護に関わるみんながそれぞれの立場や優劣(?)にこだわらず、どれだけフラットな関係になれるかが、最も良い介護を生み出す力だと思います。
みんなが信じあうようになれますように。(2012-10-22)

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数日前の夜、たまたまパソコンで見たのがヴァイオリニスト五嶋みどりさんの演奏するショパンの調べでした。
聴いているうちになぜか思い出した父との介護生活の風景。
自然に涙が流れてしまい、それをツイッターでつぶやきましたら、何人かのフォロワーさんが反応してくださいました。
心に伝わる何かがこの曲に、そして演奏にあるのだと思います。
私はこのショパンの夜想曲は、オリジナルのピアノよりもヴァイオリンのほうが好きかも♪
多くの方にも伝えたく、今日はその演奏映像をご紹介しますね。
Nocturne in C-sharp Minor.op.posth (2012-10-18)

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10/12のコラムでツイッターで知り合った方とお話ししているうちに、過去の介護生活を思い出したことを書きました。
その時もその方にお話ししたことなのですが、私が自分の中で父の介護生活の分岐点として、しばしば人にお伝えしたり、ツイッターでつぶやいたりするエピソードがあります。
それを今日は改めてここにも書いてみようかなと思います。
と言っても、昔のブログからの転載です。
介護生活当時に書いたものなので、そういう臨場感?!もあってよいかなと。
なので今日は少々長いです〜。
<2010.5.10記>
今日は、ちょっとくだらないことだけれども、自分にとってはかなり興味深いお話。
父への呼び名の変化について。
在宅介護が始まった当初、私は父のことをこれまでずっと「おとうさん」と呼んでいたので、何をするにも「おとうさん、オムツを変えるね」とか「おとうさん、ご飯だよ〜」とか言っていた。
でも、反応がいまいちだった。
というか、特に反応がないのだ。
失語症である父には「おとうさん」と言う言葉がわからないのだろう。
それから何ヶ月か経ち、介護に慣れてきて、昔のことを思い出すような日々が訪れ始めた頃、そういえば父は自分のことを「パパ」と呼んでいたことに気づいた。
父から電話があったときなどはいつも「パパだけど・・・」と父が言っていたのを懐かしく思い出したのだ。
そこで「お父さん」をやめ、「パパ!」と呼んでみた。
すると、反応するではないか。
父は笑顔で頷いたのだ!
この日から、父の機嫌がたとえ悪そうで無表情の日があっても、「パパ」と呼べばとたんに表情を崩して深く頷いてくれるようになったのである。
今思えばその頃から父の笑顔が増えたような気がする。
また、失語症ではあるけれどもわかる言葉はあるんだと思った。
つい最近は、ほんとにここ数日のことであるが、「パパちゃん」と呼んでいる。
なぜだか自分でもわからない。
自然に「パパちゃん」と連呼している私である。
どうやら、よく笑う父がかわいくて仕方がないのかもしれない。。。
父も喜んでいるんだから、勝手によいとしよう。
「パパちゃん」と呼んで手をさすってあげていると、慈愛に満ちたまなざしで父は私を見つめているように感じられる。
そういう毎日を送ることは私にとってはほんとに幸せを感じる生活になっている。
いろいろと余裕がないのは疲れるし、辛いんだけど、介護がある風景もまんざらではないと思う瞬間も多い。」(2012-10-16)

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先日、ツイッター仲間の方から声をかけていただいたのがきっかけで「第1回メッセンジャーナースと市民交流会」に参加いたしました。
メッセンジャーナースとは、患者の立場から一言で表すと「患者と医師をつなぐ架け橋となってくれるナース」と言えるでしょうか。
ね、なんかいいでしょ?
医療現場のおける患者と医師の認識のズレを正したいという思いをもっておられるので、介護する家族が最も求めていた立場の人とも言えるのではないでしょうか。
詳しいことは一般社団法人よりどころ〔メッセンジャーナース認定協会〕のHPをご覧いただくとして、私が交流会に参加して一番感銘を受けたのは、メッセンジャーナースの方たちのお話のオモシロサ!です。
ナースの中でもメッセンジャーナースを目指す方はやはりコミュニケーション力が高く、柔軟なキャラクターをおもちなのが垣間見え、そしてユーモアがある。
なんていいますか、まじめ一方で決められたことだけをきちんとこなせばいい、という感じの人とは真逆の印象の方たちです。
このような一般の人たちとナースとして毎日現場で働いている方たちとが、ざっくばらんに話ができる機会がもてるのはとても大きな前進だと感じます。
私は、市民と言う立場で参加したのですが、どうしても発言したくなり(苦笑)、「医師、看護師、そして患者とその家族がみんな同じ目線で話がしたい」と言うようなことを申し上げました。
また、自らの体験から「医療業界にいる方たちが集まっているところで言いにくいですが、病院にはお世話になるにもかかわらず、闘うという経験がたくさんあった」と言うことも付け加えました。
こういうことが言える雰囲気の交流会だったのです。
「介護する人のための手帳」の目的は、介護家族が本人の「思い」をつかむこと、そしてそれをお世話になる医療と介護の専門家の方たちに伝えること、それによって「思い」を含んだ情報を介護にかかわるみんなが共有することです。
私はつい調子に乗って「介護する人のための手帳」のチラシを皆さんに見せてしまいました。
そうしましたら、帰り際に参加された方たちの多くが、チラシをもって帰ってくださいました。
メッセンジャーナースは、介護家族の心強い仲間の方々になってくださると嬉しい気持ちになって、会場を後にしました。(2012-10-15)

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昨日は、ツイッターで知り合った方と初めてお会いし、長い時間しゃべり合いました。
彼女は遠距離介護の悩みを抱えているにもかかわらず、私の過去の介護生活の話をたくさん聞いてくださいました。
介護にまつわる状況や悩みはお一人お一人違うので、悩みに対する答えはなかなか出ませんが、だからこそ自分の思うようにされるのが最も良いのが家族介護と言うものだと思います。
ただ、思ったように事は運ばず、自暴自棄、逃げ出したいなど、私にもそういう時期があったことを昨日は話していて思い出しました。
父の在宅での介護が始まってすぐに、私は在宅介護の最初の壁にぶち当たっていました。やめたいっ…私には無理だぁ…どうしよう?!
母の反対を押し切って在宅介護を始めたものの、少々自己嫌悪に陥り始めていました。
1か月経った頃には預けられる病院探しや施設への申し込みを始めていたのです。
現在もNHK総合テレビで再放送している「イ・サン」と言う韓国ドラマが、NHK-BSで最初に放送が始まったのが、私が睡眠不足でふらふらしながら、悩みの沼に陥ってた頃でした。
第1話を見ていたら、あるセリフが心に響きました。
「憎しみと怒りで身を滅ぼしてはならぬ」
人生には本当にいろいろなことが起こるけれども、やけになってはいけないなと言うことが、なぜかそのセリフを聞いた時にストンと私のお腹の中に入った感じがしました。
もちろんドラマのセリフがきっかけで在宅介護を投げ出さなかったわけではありませんが、ハッとさせてくれたことは確かです。
このように、在宅介護を続けている方たちにはいろいろなエピソードがあることと思います。
その一つ一つが人生の糧になると信じています。(2012-10-12)

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「介護する人のための手帳」は、介護者の方に使っていただくために作りました。
でも、介護予防をされているご本人にも十分お使いいただけます。
私の母は要支援1ですが、先日から「介護する人のための手帳」を自分で使いだしました。
と言うのも、10日前から新たな症状に悩まされたからです。
突然、脇腹が痛いと言い出したので、記録をつけるよう勧めました。
休み明けにかかりつけ医へ行くので私も付き添い。
で、問診。
先生「便秘はしてますか?」
母「いいえ、ちゃんと出てます」
…ん?私は介護手帳取り出して記録を見る。
毎日の排便の欄には、3日連続「少量、軟便」と書かれているではありませんか。
すかさず私「お母さん、少量で軟便でしょう?」
先生は「えっ?さっきちゃんと出ていると言ったじゃないですか〜」
母はいつもこんなんだったのか〜!?
今後、問診の時にはまず介護手帳を開いてね、と母に伝えました。
“その時”に書いた記録はあとでけっこう重要になったりします。
ご本人用として問診の際にも役立つ「介護する人のための手帳」のいろいろな使い道を発見していただけたら嬉しいなと思います。(2012-10-10)

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「介護する人のための手帳」の商品チラシをご紹介します。
次のURLがPDFファイルになっていますので、ぜひご覧ください。(表と裏の両面チラシです)
http://www.carediary.biz/pdf/carediary_chirashi.pdf
ダウンロードされまして、この手帳がお役に立てそうな方々にお知らせいただけると大変うれしいです。
また、チラシの現物をご要望の方には、ケアダイアリーよりご送付いたしますので、お問い合わせフォームから「チラシご希望」と明記のうえ、枚数と送付先をご連絡ください。
https://ssl.kinet.jp/carediary/buy/form03/form03.html
よろしくお願い申し上げます。(2012-10-09)

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家族介護では、介護=看取り→相続(名義変更など)が一つの流れになっていると言ってよいかと思います。
本来は、介護は介護、相続は相続、と思いたいところですが、現実にはそうもいきません。
だからと言って、将来介護状態になるかどうかもわからないうちに、もしも介護が必要になったら…と言う決め事をするのは難しいでしょう。
介護をしている期間中にある程度相続人となり得る家族同士が話し合うことができればよいですが、そういうことができるケースも結構少ないのではないでしょうか。
そんな介護そのものに関係ないような事柄こそが、日々の介護者の気持ちに影響することが多く、メディアが介護問題を取り扱う時は、介護そのものだけに注目しても、問題の本質には届かないと私はいつも思います。
「在宅介護の最も憂鬱な部分は外に出せない」と言う人がほんとは多いのではないか。
介護が始まると、家族の結びつきが露わとなり、それまで隠れていた問題がふつふつと表に出てくることが多くあります。
介護とは実は、そういうものとの闘いなのではないかとも思うのですね。(2012-10-02)

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介護という状況になった時から、本人も、介護する家族も、気持ちがぐちゃぐちゃになるのが家族介護。
どちらもひとつの思いを貫いていけるなんてことはほとんどないと思う。
介護する側の多くの人にはきっと、恨みもあれば、孝行する気持ちもあれば、自分の本音がどこにあるかがわからなくなってくるのが介護。
介護を始めた頃、私は毎日「書く」ことで自分の心の奥底を見ようとしました。
何で自分は介護するのか?本当はどんな気持ちなのか?親に対してどういう思いがあるのか?
きれいごとではない本音を、本音を、書くのだ!と言う感じ。
そんな本音を書いているうちに、自分の気持ちに気づくことがあって次に進める、みたいな毎日でした。
そんなだらだら日記を1年書いたら、次の年はちょっと変わって、もう少し「記録」することの必要性を感じ始め、多少冷静に情報をまとめたくなりました。
血圧の数字を記録したり、父親の病歴を一覧表にしたり、介護日誌を書いたり・・・真っ白のノートになんでもメモすると言うのを1年やってみました。
でも、毎月線を引くのが面倒だったり、どこに何をメモったかが段々わからなくなったりして、これだったらあらかじめフォームになっていたらいいなと考え、知り合いのデザイナーに声をかけました。
1冊だけ手作りの介護手帳をこしらえ、次の年に1年間使ってみたのですが、それが「介護する人のための手帳」の前身です。
書くことによって、介護当初のぐちゃぐちゃした気持から、本人を観察して記録をつけることに比重が変化していきました。
介護する方、される方双方の思いが、互いにどう伝わっているかが家族介護の最大のポイントだと思います。
そんな手助けになる手帳に「介護する人のための手帳」がなってくれればうれしいです。(2012-10-01)
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